河童と魚(4)
■小川芋銭(おがわうせん)
本名:小川茂吉、1868年2月18日(慶応4年1月25日) - 1938年(昭和13年)12月17日)
明治から昭和初期にかけて活躍した日本画家である。最初は洋画を学び、尾崎行雄の推挙を受け新聞社に入社、挿絵や漫画を描いていたが、後に本格的な日本画を目指し、川端龍子らと珊瑚会を結成。横山大観に認められ、日本美術院同人となる。生涯のほとんどを茨城県の牛久沼のほとりで農業を営みながら暮らした。画業を続けられたのは、妻こうの理解と助力によるといわれている。身近な働く農民の姿等を描き新聞等に発表したが、これには社会主義者の幸徳秋水の影響もあったと言われている。
また、水辺の生き物や魑魅魍魎への関心も高く、特に河童の絵を多く残したことから『河童の芋銭』として知られている。
また『牛里』の号で俳人としても知られていた。長塚節や山村暮鳥、野口雨情などとも交流があった。野口雨情は、芋銭のことは俳人としてのみ知っていて、新聞記者に「あの人は画家だ」と教えられ驚いたという逸話を残している。画号の『芋銭』は、『自分の絵が芋を買う銭(金)になれば』という思いによるという。
この作品には「魚雨・・・」と書かれている。
この作品にも「魚雨」とある。
アマゴは天魚・雨魚と一般に書き、天も雨もともにアマであり、高所を指す。決して「魚雨」ではない。それでは・・・「魚雨」とは何なのか?小川芋銭さんの絵からは、魚が空から降ってきているように見えるのだが・・・そんなことってあるのだろうか???





