ぎょ(264) | すくらんぶるアートヴィレッジ

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ギョ(魚)ラフィック・デザイン[4]


かめくら1


日本のデザインを語る上で亀倉雄策さんをはずすわけにはいかない。


かめくら2

■亀倉雄策

彼の表現スタイルは構成主義で一貫している。ポスターも幾何学形態による構成で、典型的な構成主義作品といえる。亀倉は1935年、20歳の頃、川喜田煉七郎が主宰する新建築工芸学院で、バウハウスの構成理論と方法論を学んでいる。それを基礎にカッサンドルや日本工房の名取洋之助らから、実践的な創作表現法を学んだ。デザイン批評家の勝見勝との交際によって彼特有の好奇心と向学心が、常に世界に眼を向け情報を収集し、世界のデザイナーと交流を進めることとなった。そのひとりとして友人であり、良きライバルであったアメリカのポール・ランド(1996年11月26日死去)がいる。1959年に亀倉は『ポール・ランド作品集』を編集し、東京・造型社から出版している。

『亀倉雄策のポスター時代から時代へ・1953年-1996年の軌跡展』 国立美術館で個人のポスターが初めて展覧会となったということで話題になった。ポール・ランドが亡くなった半年後、1997年5月11日に亀倉雄策は急逝した。


かめくら3


東京オリンピックのポスターは、衝撃的であった。瞬間の美とでも言おうか・・・特にこの「バタフライ」のポスターは、私が中学時代に「水泳部」に入部し「バタフライ」を選んだほどの影響をもたらした。そして、「フジヤマのトビウオ」をも想起させた。


ふるはし1


■古橋廣之進(1928~) 敗戦にうちひしがれた国民に勇気と希望をあたえた水泳選手。第2次世界大戦後、日本は国際水泳連盟への復帰がゆるされず、1948年のロンドン・オリンピックに参加できませんでしたが、同時期にひらかれた日本選手権で日本大学在学中の古橋さんは1500m自由形で18分37秒0の世界新を樹立。それに対しロンドン・オリンピックのマクレーン(米国)の優勝タイムは19分18秒5だった。翌49年、国際水泳連盟復帰がゆるされた直後の8月、古橋ら6選手はロサンゼルスの全米選手権に招待され、古橋は400、800、1500m自由形、800mリレーの4種目に世界新で優勝、米国の新聞に「フジヤマのトビウオ」とよばれた。現役中に更新した世界記録は33回。


ふるはし2

「魚になるまで泳げ」 人が1万泳ぐところは1万5千泳げ、1万5千泳ぐところは2万泳げと常に自分に言いきかせ、寝ている間でも、ヒントが湧けば真夜中に起きて練習したりして、不断の努力で彼は栄光を勝ち取ったのである。彼の指導法は、まず“魚になるまで泳げ”であり、まず泳ぎ込みにより土台をしっかりさせて、本当に魚になるようなところまでいって、技術やトレーニング法とかを問題にするというものである。まさに人一倍の努力により頂点まで極めた彼ならではの指導法といえるかもしれない。


とびうお1

■トビウオ(飛魚、鰩、英名 flyingfish)、トビウオ類は、ダツ目トビウオ科の魚。太平洋、インド洋、大西洋の亜熱帯から温帯の海に生息する海水魚で、世界で50種ほど、日本近海でも30種弱ほどが知られる。


とびうお2

トビウオの名前の由来は、水上に飛び出し、胸ビレを広げて滑空することから。日本近海で獲られる代表種は、トビウオ(ホントビウオ)、ハマトビウオ、ツクシトビウオ、ホソトビウオなど。九州や日本海側では別名アゴと呼ばれる。島根県の県の魚に指定されている。


とびうお3