焼津(3)
■「魚がしシャツ」の名前で、地元焼津っ子に親しまれている、焼津の夏の風物詩とも言える、焼津魚河岸シャツ。そんな魚河岸シャツは元々、とある焼津の魚屋さんが、東京築地に魚を卸に行った際に、手ぬぐいの反物をもらい持ち帰りました。それを仕立て屋さんに頼んで、シャツに仕立ててもらったのが、始まりと言われています。
■染元・高橋染物店は、漁業の街で知られる静岡県焼津市にある、創業120年の老舗です。創業当時は、糸の藍染等をしておりました。 その後、日本屈指の遠洋漁業で一大基地として栄えた、昭和30年頃の焼津。その船に掲げる、大漁旗の染を二代目より初め、現在は3代目・高橋浩之がその技術を受け継ぎました。
■「森省商店」 焼津の伝統「鰹縞シャツ」。もともとこのシャツは、焼津の漁師の作業着として生まれました。昔は殆どの漁師の家にはた織り機があり、それぞれの家で手織りして仕立て上げたそうです。白地に青色の太さの異なるストライプ。まるで鰹をイメージしたかの模様。「二本子持ち縞」「焼津縞」とも言うそうです。
このシャツを着ているので、どこの港に入っても、「ア!焼津の漁師だ!!」とわかったそうです。このシャツを、大正時代から守り続けていた森省商店さんでしたが、後継者難から伝統のシャツを作り続けることが難しくなりましたが、ようやく受け継ぐ人があらわれ現在に至っています。焼津漁師のワークシャツ「森省鰹縞シャツ」は大正2年より作られている焼津の伝統品です。
スタンドカラーにドルマンスリーブの定番デザインは焼津漁師のステータスでした。厚手の木綿生地は吸汗性にすぐれ、季節を通してご使用いただけます。一着一着の手作りで丁寧丈夫に作られています。背中には「森省鰹縞」のタグ付き。絶対一着は欲しくなるシャツです。
■鰹には、トレードマークの縞模様があります。鰹の絵を描けば、腹のほうに縞模様があるだけで、鰹と分かってしまうくらい、なじみがあります。しかし、あの模様、鰹の本来の姿ではありません。海の中で自由に泳いでいるとき、あの模様はないのです。水族館に行く機会がありましたら、よく見てみて下さい。
水槽でぐるぐる、勢いよく泳いでいる鰹に、あの縞模様はないはずです。あの模様は、鰹の興奮状態を表しています。釣られて、甲板に叩きつけられ、「痛いじゃねえか、こんちきしょう!!」「いやーん。海はどこ?水がないー!!」パニックになって、あの模様があらわれます。さしずめ、怒った親父の青筋、子供の泣きべそ?と、いったところでしょうか?
■「鰹縞」 濃→淡のグラデーションから成る縞柄を指すそうだ。鰹の背中の模様になぞらえたのは言うまでもない。ちなみに染め物では「鰹ぼかし」と言うのだとか。単純に藍色の縞だけをそう呼ぶのかとも思ったのだが特に色に拘らないようで、「紫の鰹縞」などと表現している場合もありました。ネットショップ等でもやっぱり「鰹」のイメージは青系の縞です。
■古来、日本語では「縞」は「筋(すぢ)」と呼び、桟留縞・べんがら縞などの渡来品の筋ものを「島もの」と呼んで区別し、「縞」の字を充てた。江戸時代中期より木綿の流通とともに縦縞が流行し、庶民の服装へも大いに取り入れられた。縞の方向によって、縦縞模様、横縞模様、斜め縞などと呼ばれる。配色によって名称を持つものがあり、白と黒の縞模様はゼブラカラー、青・白・赤の三色の縞模様はトリコロールと呼ばれる。特別な意味合いを持つ縞模様に、ごく幅の広い二色の縦縞模様(くじら)がある。白と黒のくじら模様の幕(くじら幕)は弔事の際に、赤と白のくじら模様は慶事の際に使われる。