ぎょ(230) | すくらんぶるアートヴィレッジ

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魚濫観音(4)


けいそく1


■滋賀県伊香郡木ノ本町古橋「世代山・戸岩寺」


奈良時代の僧行基が開き、その後僧院が衰退朽ち果てた頃、比叡山の最澄が再興した。以来弘法大師が「魚藍観音」を祀ったと伝えられる。魚藍観音は、観音の三十三化身の一つで、魚篭を持ったり大魚に乗ったりした観音で、観音経の信者に嫁いだ魚商の美女が実は観音の化身であったという説話にもとづく観音である。この「魚藍観音」は冠が無くなり、目が半眼に変わり、左右の腕の形と持ち物が全く変わっていたが、最近になってもとの姿に修復された。上半身裸形の観音菩薩は数少ない。(平安中期の作)

下画像が修復前です。



けいそく2

■奈良時代、僧行基が近江の国の鬼門にあたる湖北地方東部の己高山に常楽寺を草創しました。一時衰退しましたが、最澄が己高山鶏足寺として再興したと言われています。以後北近江の一大仏教文化圏として大いに発展しましたが、時代の推移により衰退し、山頂の本堂も昭和に入って焼失、今では寺跡を残すのみとなりました。鶏足寺(旧飯福寺)は、山上にあった己高山鶏足寺の別院のひとつで、苔むした石垣が往時を偲ばれ、秋には周辺の200本を数えるモミジの古木が紅葉に染まります。


けいそく3

また、鶏足寺・戸岩寺の文化財収蔵庫である己高閣・世代閣には、鶏足寺本尊の十一面観音菩薩像(重要文化財)をはじめとして多数の仏像が安置されており、全国的にも屈指の規模といわれています。●「十一面観音立像」木造彩色172.1cm(藤原時代)●「七佛薬師立像(七尊)」木造90.0-100.0cm(藤原時代)●「薬師如来立像」木造漆箔172.1cm(平安時代)など。



けいそく4

■山号を己高山(こたかみさん)と言い、湖北地方に於いて天台密教が繁栄した証明の寺跡である。東大寺大仏殿再興の勧進職を務めた行基の創建とされ常楽寺と呼んだが、最澄が鶏足寺と改称後天台密教のメッカとして栄え己高山七大寺を筆頭に位置し全盛期には全山に125の堂宇が存在し、もう一つの比叡山と言へたのではないか。その後衰退して堂宇の痕跡を残すのみであるが、管理組合の郷人達により己高閣全山から集めた仏像や残闕部分が管理されている。己高閣には天台密教に於いては象徴的な七佛薬師像がある。七仏薬師が揃うのは当寺と千葉県印旛郡の松虫寺のみで貴重な存在である。その他指定外ではあるが、作例が非常に少ない像に魚篭に魚を持った●「魚籃観音立像」木造漆箔160.0cm(藤原時代)や石造線刻の●「阿弥陀如来坐像」90.0cm(鎌倉時代)など貴異な像が多い。



けいそく5

■「十一面観音」著者:井上靖(1993年)より 同じ木之本町の与志漏神社の境内に、最近大きな収蔵庫が造られ、そこに鶏足寺の十一面観音と呼ばれているものが、他のたくさんの仏像といっしょに収められている。昔鶏足寺という大きな寺が、己高山という山の上にあったが、明治時代に廃寺になり、そこの沢山の塔頭にあった仏像が、いま収蔵庫の中に収められているのである。 ここの十一面観音も地方色豊かなもので、石道寺観音が娘さんをモデルにしているという言い方をするなら、鶏足寺の方は村の内儀さんをモデルにしていると言えるだろう。


けいそく7

■「七仏薬師」 七仏薬師法は円仁が嚆矢とされ、比叡山の密教修法の一つで「薬師七佛本願功徳経」を典拠としており薬師七体を祈るものであるが、東方に七尊の如来が存在し最も遠い第七の如来が薬師如来であるとされる、しかし薬師如来の分身か別尊かの確証はない、七仏薬師信仰は8~9世紀にかけて顕著になり、新薬師寺も創建当初は七仏薬師が本尊であった。七仏薬師信仰から七所薬師に対する信仰も生まれ、京都を中心に延暦寺・広隆寺・珍皇寺・法雲寺・護国寺・観慶寺・平等寺を言われたが現在は言われていない。また唐招提寺の薬師如来の光背にも七仏薬師が存在したとされる、さらに室生寺・神護寺・法隆寺西円堂・醍醐寺・黒石寺(岩手県)等にも、そのこん跡が見られる。(1)善名称吉祥王如来[東方光勝世界](2)宝月智厳光音自在王如来[東方浄瑠璃世界](3)金色宝光妙行成就如来[東方円満香積世界](4)無憂最勝吉祥如来[東方無憂世界](5)法海雷音如来[東方法幢世界](6)法海勝慧遊戯神通如来[東方善住宝海世界](7)薬師瑠璃光如来[東方光勝世界]の呼び名がある。(指定外)四国八八所霊場の内徳島県の井戸寺の本尊。現存する七佛薬師像に松虫寺(千葉県印旛郡・天台宗)木造坐像54.3cm立像37.9~39.0cmと鶏足寺(己高閣)は七尊が揃い重要文化財指定を受けている。


けいそく8