ぎょ(156) | すくらんぶるアートヴィレッジ

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えびかに話(1)

以前紹介した「かにパン」のチョコ・バージョンを発見しました。


かにぱん


「かにパン」はパサパサしているのでチョコがかかっていると、とても食べやすかったです。


へいけがに


■「平家蟹」 壇の浦では昔、平家と源氏の合戦があり、平家は無念にも敗れました。その平家の落ち武者たちの怨念が壇の浦の蟹の背中に焼き付いたと言われます。ここで、とれる蟹は平家蟹とよばれ、甲羅のあたりには無念そうな、落ち武者の顔のような模様が浮き出ています。「人の顔を背負った蟹」と小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)著、「耳なし芳一」には描かれています。瀬戸内海や有明海の水深30~100mの貝殻まじりの砂底にすむカニで、甲羅の大きさは2cmほどです。前の二対の脚が長く、残りの後ろ二対の脚が極端に短いのが特徴です。


へいけがに2


■「耳なし芳一」 ・・・他の個処で私はそこに居る平家蟹という不思議な蟹の事を読者諸君に語った事があるが、それはその背中が人間の顔になっており、平家の武者の魂であると云われているのである。しかしその海岸一帯には、たくさん不思議な事が見聞きされる。闇夜には幾千となき幽霊火が、水うち際にふわふわさすらうか、もしくは波の上にちらちら飛ぶ――すなわち漁夫の呼んで鬼火すなわち魔の火と称する青白い光りである。そして風の立つ時には大きな叫び声が、戦の叫喚のように、海から聞えて来る。


小平家

■「小平家」 壇之浦の合戦で入水した平家女官が美しいマダイに生まれ変わったといわれ「コベケ」とよばれています。関門海峡では7月~8月にかけてよく見られます。


かにえ

■南方熊楠「平家蟹」 ・・・平家蟹という物、所によって名が異る。『本草啓蒙』に、「一名島村蟹(摂州)、武文蟹(同上)、清経蟹(豊前長門)、治部少輔蟹(勢州)、長田(おさだ)蟹(加州)、鬼蟹、夷(えびす)蟹(備前)。摂州、四国、九州にみなあり、小蟹なり。甲大いさ一寸に近し。東国には大いなるものありという。足は細くして長きと短きと雑(まじ)りて常の蟹に異なり。甲に眉目口鼻の状(さま)宛然として怨悪の態に似たり。後奈良帝享禄四年摂州尼崎合戦の時、島村弾正左右衛門貴則の霊この蟹に化すと言い伝う。しかれども唐土にもありて、『蟹譜』に、「背殻(こうら)の鬼の状(かお)のごときものは、眉目口鼻の分布明白にして、常にこれを宝翫(もてあそ)ぶ」と言い、野記に鬼面蟹の名あり」と見ゆ。平家蟹の学名ドリッべ・ヤポニクス、これはシーボルトが日本で初めて見て付けた名だが、種こそ違え、同様な鬼面の蟹は外国にも多い。例せば、英国の仮面蟹(かめんがに)ドリッペ属でなくコリステス属のもので、容体(かたち)よほど平家蟹と違うが、やはり甲に鬼面相がある。ただし平家蟹はど厳(いかめ)しくない。すべて蟹類は内臓の位置、容量に随い、甲上に隆低(たかひく)の線窪(すじくぼみ)が種々あり。こっちの想像(おもわく)次第多少人の面に見えるが、平家蟹や仮面蟹はことに著しく怒り顔を現わしおる。西洋で甘蕉実(バナナ)を横に切ると十字架を現わすと言い、日本で胡瓜(きゅうり)を横に切ると織田氏の紋が見えるなど言う。海蝦(うみえび)の胴を横截(よこぎり)せば婦人の上半身を顕(げん)ずと欧州の古書に見えるが、日本でそんなことを言わぬと同時に、蝦の眼を頭に見立てて雛人形を作るなど、東西の見立て様が差(ちが)うのじゃ。


かにもん1

■歌舞伎「平家蟹」 平家滅亡後の壇の浦。生き残りの女達は惨め。惨めさあまって、玉蟲は亡き武将の名を蟹につけて親しむ狂いぶり。その妹が源氏方・那須与市の弟と相思相愛と聞いて、怒髪天。二人を蟹の毒で呪い殺してしまう。


かにもん2

■「伊藤八百叟」 鉄翁禅師より南画の指導をうけ蟹を描かせては日本一と言われた伊東(藤)八百叟(ヤオソウ)。八百叟はどうしたわけか、子供の時より蟹に興味を持っていたようで、良く蟹の絵を描いていたそうです。絵を習い始めたときは家にあった鋳工亀女作の「蟹」を手本にして描いていたそうですが、或る日、禅師より「私は蘭を朝に夕にみつめ蘭を描きますが、そこには蘭の真意がいつとはなしに現われてくるのです。」「あなたも生きている蟹を みつめ、描いてみませんか、そしたら其処に、何かあなたの心の中に あらわれてくるものがありますよ」と言われたと言う。


かにもん3

魚の家紋は探しましたが無いのです。蟹はたくさんありました。


かもん4

「平家蟹」にまつわる話はもとより、蟹の容姿が武家社会にピッタリだったのでしょう。鎧や兜などを彷彿とさせるのが・・・蟹です。