鱗話(6)
能装束などで鱗文が使われるときは、嫉妬に狂う鬼女や龍女、あるいは荒神などが表現されます。
我が住む山家の景色 山高うして海近く 谷深うして水遠し
山姥は 山そのもの 生命の源であり また 生を培う
人間の生に纏ろう葛藤を 背負い 覆って宇宙を廻る
色即是空 仏法あれば世法あり 煩悩あれば菩提あり
仏あれば衆生あり 衆生あれば山姥もあり
善し 悪しの枷を引きずって 思いの家から逃れられない 人間の宿命
宇宙とひととの間に横たわる 深く 暗い谷
またその断絶による苦しみは 人間本性の快楽でもある
廻り廻りて輪廻を離れぬ 妄執が 積もり積もって山姥となる
この世に人間が現れた時から永遠に 山姥は心の山を 廻り続けている
日本の伝統文化は「ワビサビ」と思われているが、なかなか「ハデキラビヤカ」ではないか。
能楽が直線的・男性的であるのに対して、歌舞伎は曲線的・女性的でもある。
ご存知、玉三郎「道成寺」の清姫である。
これらの衣装・装束における鱗文は、「魚」というより、「龍」や「蛇」を含めた象徴として用いられた文様であろう。