ぎょ(71) | すくらんぶるアートヴィレッジ

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職人魂(2)

「職人」を当面「つくるんど」と読むことにしようと思っていますが、「職人」のことを「匠」と言うとカッコイイですね。

そこで「匠」について調べますと・・・巨=矩(さしがね)の変形の「匚」と「斤(おの)」からなり「技術者」の意とありました。

さて、「懸魚(げぎょ)」を発見したお寺にはまだまだ「さかな」がいっぱいありました。


木魚


木魚は、お経や念仏を唱える拍子取りに禅宗や浄土宗で使われているもので、その形は、現在ではだいぶ形骸化していますが、よく見ると、その形は「魚」が体を丸めて頭と尾を付けている姿になっています。日本で用いられるようになったのは、17世紀に隠元禅師(1592~1673)が、禅宗の黄檗宗を中国から伝えてからです。


魚板1


木魚を、型式学的に遡っていくと、その原型となっているのが、魚板と呼ばれるものです。魚板とは、木魚のように体を丸めて頭と尾を付けている姿ではなく、頭から尾までを真っすぐに伸ばした、通常の「魚」の姿に彫られた板をいます。行事や法要、儀式の始まりを山内の人々に報せるために打ち鳴らされるものです。又、食堂にあるこの魚板は、修業僧の食事の合図にも使われます。


魚板2


なぜ、これらの魚を打つのかというと、『勅修百丈清規』(元の順帝の勅によって東陽徳煇が編集し、至元二年(1336)~至正三年(1343)の間に完成)の註に「相伝えて云う、魚は昼夜常に醒む。木に刻して形を象り、之を撃つは昏惰を警むる所以なり。」と魚板を叩く理由が述べられています。つまり、「魚」の目にはまぶたが無く、いつも目をあけていることから、「魚の如く昼夜の別なく、常に目ざめて努力修行しなさい」この戒めを皆に気付かせるために「魚」の形のまま吊り下げたもの(魚板)、形を団円にしたもの(木魚)を打つのだいうことです。また、魚板の側面中央にある丸い模様は「撞座(つきざ)」と言い、ここを木鎚で叩きます。口には、龍と同じように「玉」を咥えています。この玉は欲望を表しており、魚板を叩いて吐き出させるという意味もあります。


魚板3


本式の呼び名を「はんぽう」といいお坊さんたちに飯時を告げるため叩いた木彫の魚。このような魚板は禅寺によくあるが、興福寺のものは日本一美しいと定評がある。長年叩かれたので、腹部は凹んでいるがこの音は案外遠くまで聞こえ、山裾までとどいたそうである。もうひとつ並んでさがる小振りの魚板は雌で、雄雌一対で懸けられるのは大変珍しい。中国の代表的な魚である鰍魚(けつぎょ)を象り、口にふくむ玉は欲望、これを叩いて吐き出させるという意味をもち、木魚の原型とみなされる。


どしょう


「鰍魚(けつぎょ)」ってどんな魚かと調べてみたら「どじょう」と出ていた。しかし「魚板」を見る限り「どじょう」とは到底思えない。さらに調べてみると、ドジョウカマツカ(ゴビオボティア)属Gobiobotiaのところに「鰍」という文字を発見した。形からして、この「ドジョウカマツカ」のことではないかと考えている。その中にもいろいろな種類があるので、どれが本当の「鰍魚」かは定かではない。


どじょうかまつか


これは少しヒゲの長いタイプである。


かまつか


これは少し眼が小さくシッポの長いタイプである。