今日は羽曳野での「私をみつめて」映画会のスタッフとして活動しましたので、昨日に引き続き「すくらんぶる展」の方には行けませんでした。
映画の評価は本当に様々です。ただ、ドキュメント映画の意味は「事実」そのものを投げかけるということであり、つきつけられた事実をどう自分は受け止めるのかということを迫られることになります。今回の映画会は、見た後の「トーク・ライブ」に重きが置かれましたので、スタッフとしてとても緊張させられました。地元・羽曳野での上映ということで、はじめて河合由美子さんの父親も参加されトークに加わられましたので、会場は真剣そのものです。
私も教育代表ということでトークに加わりましたが、教育や教師への批判を受けるであろうことを覚悟してのぞみました。幸い、一方的に教育の責任を問う声はありませんでしたが、それでも話の端々に教育のこと学校のことが登場してきます。私自身は性急に「答え」を求めるのではなく、それぞれが「寄り添い」共に「悩み考える」姿勢こそが重要であることを強調させてもらいました。なぜなら、私自身「生きること」の意味をまだつかんでいませんし、だから「生きて」いるのですから。それは「図工美術」においても同様で「描き続ける」ことを通してしか見えてこないものだと思っています。
心配された参加者数そしてトークの内容ともに充実した映画会となり、本当によかったと思っています。様々な課題が山積する現代社会だからこそ、傍観者ではなく「生きる」主体者としてこれからも積極的に課題にかかわっていきたいと思います。
明日こそ「すくらんぶる展」に行くぞ。