行ってみたいと思いながら行けていないお城に「姫路城」があります。
なぜなら「蝶紋」の瓦があるからです。
姫路市街北部の姫山に最初に築城したのは、南北朝時代の1346年(正平元年)、赤松則村(円心)の子・赤松貞範であるという説が有力です。ただし16世紀に黒田重隆が築城したのが最初であるという異説もあります。伝承では、しばしば豊臣秀吉が現在の姫路城を築造したと言いますが、1580年(天正8年)に秀吉(当時は羽柴秀吉)のもとで黒田孝高が築いた三層の天守は現存しません。現在の姫路城は、徳川家康の娘婿で「西国将軍」の異名を取った池田輝政が1601年(慶長5年)より8年掛かりで築造したものです。普請奉行は池田家家老伊木長門守忠繁、大工棟梁は桜井源兵衛で、実際の作業に携わったのは領民達であり、築城に携わった人員は延べ4千万人~5千万人であろうと推定されています。姫路城の大天守だけでも7万5千枚以上の瓦が使用されています。特に姫路城は、丸瓦や平瓦、軒先に使われる軒平瓦(唐草瓦)、軒丸瓦(巴瓦)、あぶみ瓦、棟込瓦、のし瓦、菊瓦、鬼瓦、棟飾りの鯱瓦など、実に56種類もの瓦が使用されています。寺院などの場合、軒丸瓦は巴の紋が入ることが多いのですが、城の場合は城主の家紋が入ることになります。姫路城は城主がよく変わったので、その種類も多くなっているのです。歴代城主の家紋は、赤松氏(二ツ引両)、黒田氏(橘)、羽柴氏(桐)、池田氏(揚羽蝶)、本多氏(三ツ葉立ち葵)、榊原氏(源氏車)、奥平姓松平氏(沢瀉)、松平氏(三ツ巴)、酒井氏(剣酸漿)などとなっています。