私の蝶書(66) | すくらんぶるアートヴィレッジ

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近くにありながら疑問すらいだかなかったことがある。

私の家の近くに「チョーヤ」本社がある。

「チョーヤ」という社名が気になり調べてみて驚いた。やっぱり・・・

大正3年創業当時の社名は「蝶矢洋酒醸造」、金銅住太郎がMFEMFEMFEMFEMFEMFEMFEMFEMFE羽曳野市の東にある二上山山麓でブドウ栽培を始めた。10年後の大正13年に収穫したブドウでワイン造りを始め、戦後はブランデーも手がけていく。2代目金銅和夫が、ウィスキーやワイン、ビール、日本酒は多くの会社が事業化しているが、“家で造る”のが常識の梅酒だけはどの会社も手がけていないからと昭和34年に梅酒造りに乗り出した。当時、法律では認められていないのに、家庭での梅酒造りは当たり前のことだった。こうして発売された梅酒だが、昭和50年ごろまでは、売れない商品の代表格だったが、核家族化が進み梅酒は家庭で造るものではなくなって、今日の梅酒ブームへと至る。社名に冠された「蝶矢」はもちろん造語で、羽曳野市の東の二上山には石器時代から人が住み着き、近畿一円で使われた矢尻の石を産していたという。また、周辺の山々は、万葉の時代から数多くの蝶の生息地として知られていた。そうした歴史的な背景から「蝶」と「矢(尻)」の2つを採ってつないだのが「蝶矢」のいわれである。誤読されることが多かった「蝶矢」をカタカナに変え、現社名にしたのは、梅酒製造開始から40年目の平成12年のことである。

なんと、私の住む近くは多くの蝶の生息地として知られていたとは・・・

蝶矢1