《奥間川流域生活文化遺産調査》http://www.wwf.or.jp/enetwork/josei/1999/no9903.htm より
沖縄本島北部地域は山原(やんばる)と呼ばれ、山や森が多いという意味です。本島最高峰の海抜503米の与那覇岳を中心に山々が連なり、イタジイ、オキナワウラジロガシなどの亜熱帯照葉樹林が広がり、多種多様の固有の動植物を育んできた地球上でも希有の亜熱帯降雨林ですが、一方で古来より人との関わりが深く、前人未踏の原生林はほとんどありません。戦前から沖縄の日本復帰までのやんばるでは、人と野生動物が共存・共生していたといえます。
《藍壺》今回、私たちは7カ所の藍壺跡を見つけた。藍作りは水を多量に使うので、川沿いの斜面に作られているところが多く、排水用の水路や排水口が川に流れ込む方向に作られている。しかし、1カ所、ウシケーガーのところにある藍壺跡の近くには、川の流水跡が見られないところがあった。樋のようなもので、近くの川から水を引いたのかもしれない。藍壺跡の周辺には山藍を栽培した跡地が段々畑のように積っているところが数カ所あり、野生化した藍も育っていた。藍の葉は年2回~3回収穫され、朝露のある頃に刈るといい藍ができるといわれていた。肥料は山羊のクエー(肥やし)が良く、肥料が流失しないように藍畑の周囲にはチンヌク(里芋)を植えたりした。藍を作った後のエークス(藍糞)も良い肥やしになったという。藍壺は一般に円形をした大壺(ウフナプ)(大きくて3.4メー川)と泥藍を入れ長方形の玉壺(タマチブ)(約2メートル)とがある。その内側を石灰とワラを混ぜて発酵させた漆喰で塗って作った。
《泥藍の製造》
1.藍は大壺で水に浸漬させる。(2~3日)
2.上を木と石で覆う。(発酵すると盛り上がってくる)
3.ガス抜きする。(色ムラができないように)
4.発酵しドロドロになると、残った藍の茎などカスをすくう。
5.石灰を入れて激しく攪拌する。
6.沈殿させ、水を抜く。(約1日)
7.玉壺に移し、汁を捨て、藍玉に丸める。
8.できた藍玉(泥藍)は大きな風呂敷に載せて水を切る。
藍玉は、中南部から仲買が買いにきた。鏡地浜から山原船で那覇に運ばれた。当時は藍作りが一番の現金収入になった。明治期、藍作りは重要な産業でやんばるの特産物であった。やんばるでは本部が最大の産地で次が国頭であった。大正になり、輸入反布が増え始め、その後化学染料が普及し、藍の生産は下火になっていった。画像は「オキナワアオガエル」http://home.att.ne.jp/banana/yamoyo/index.htm より