螺旋物語(89) | すくらんぶるアートヴィレッジ

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ずっと気になっていましたが、ようやくその情報を発見することができました。
《モナリザが描かれた場所》
1503年3月から1505年5月の間にサンタ・マリア・ノベッラ教会 Santa Maria Novella の「法王の間」の回廊で描かれたようです。フィレンツェ共和国から委託されたボルジア軍の監視スパイ役を終え、彼は法王の間で3年間暮らしました。この時、ラファエロ Raffaello Santi (1483-1520) がレオナルドを訪ね、模写したと言われている素描があります。1505年、フィレンツェ政府からヴェッキオ宮殿 Palazzo Vecchio の壁面を飾るよう、ミケランジェロとレオナルドの二人は依頼されました。ラファエロは22歳の時にこの下絵を見に行っています。この時よりも少し遡る時期に「モナリザ」を見に行ったと考えられます。その時のレオナルドのアトリエは自由に出入りできたとも言われています。これを見た以後、ラファエロの肖像画は変わることにもなりました。そして、この素描は模写という謂われるほどの類似です。この素描では確かに両端に柱が見えます。そして、この柱の特徴は、まさに「法王の間」の回廊の柱に見えます。しかし、背景はまるで違います。このことから、レオナルドはラファエロが訪ねたときにはまだ肖像画として描いていたということがわかります。その後レオナルドは気持ちが変わり、肖像画としての「モナリザ」は捨てられ、心象としての「モナリザ」が生まれていったのではないでしょうか。
《柱と言えば・・・》
イタリア、初期ルネサンス画家でドミニコ修道士であるフラ・アンジェリコ Fra Angelico (1400-55)の「受胎告知」を思い浮かべます。この作品(The Annunciation)は1430年頃のフレスコ画で 230 x 321 cm、サン・マルコ寺院Convento di San Marco, Florenceにあります。レオナルドは1472~75年にテンペラ画の「受胎告知」98 x 217 cmを描いています。当然、他の画家の作品を観察して自分なりの表現を考えたと思われます。
フラ・アンジェリコの作品を見て、ハッと思いました。その柱の内側から描いたとすれば・・・まさしく「モナリザ」の状況になるはずです。そしてさらに、腹部あたりに組まれた手を見てください。うつむいたマリアの顔をあげ、レオナルドの方に振り向かせると「モナリザ」のポーズに近くなるではありませんか。外から中を見て描いた「受胎告知」ではなく、内部から外を見て描いた「受胎告知」と考えられませんか