《ドラゴンつづき》
(4)悪の象徴と否定的な存在としてみなされる一方で、古代ローマでは龍の描かれた軍旗が用いられていた。強い力を象徴する龍を軍旗に用いることは広い地域で見られるもので、東はエジプト、西ではケルト族11において特に盛んに使われていた。船に龍頭をかたどったものや、イギリスでは、ワイヴァーンと称される二本の足と翼を持ったドラゴンが霊力を持つ聖なる動物として扱われており、旗に用いられただけでなく、現在でもロンドン市の紋章にワイヴァーンが使用されており、イギリス王室の紋章にも見られる。その他柱、鉄道会社などの紋章として彫られたワイヴァーンを至るところで見ることができる。ドラゴンと似た形態を有してはいるが、性格は全く異なるものである。さらに古代イランにおいては、尾をくわえ輪になったウロボロス型の龍が、永遠を象徴するもの、また墓の守護者として墓石に使用されていた。
(5)またドラゴンは中世ヨーロッパで行われていた錬金術において、水銀と結びつく、神聖な第一物質とみなされ、「錬金術師たちが獅子、鷲、鴉(または一角獣)と併せてドラゴンを四性の一とした。」とあり、ドラゴンはサラマンダー(火蜥蜴)とともに四元素のうち火を象徴するものとされている。以上のように、肯定的な象徴として捉えられていたドラゴンの例がいくつか残ってはいるが、およそ西洋においてのドラゴンは邪悪な悪の化身とみなされ、神々・英雄によって退治される対象者であるという思想が主流である。
《ウェールズ》
スコットランドや北アイルランドとともに連合王国を構成するウェールズは、英国中央部西側に所在し、東西約96キロ、南北約256キロの地域に、約300万人のウェールズ人が住んでいる。ケルト人は紀元前5世紀にブリテン島に渡ってきたが、紀元43年に古代ローマ帝国が侵略してきた。ローマ軍団はブリテンの各地に「ローマン・ロード」や「・・・・チェスター」と呼ばれる城塞都市、あるいは「バース」(浴場)などを建築したが、彼らは先住のケルト人を「よそ者」(ウェールズ)と呼んだ。「ウェールズ」という呼称はローマ軍団去った後も国名として残った。5世紀半ばからゲルマン民族の一派アングロ・サクソン人の侵入が始まった。ケルト人はアングロ・サクソン人と勇敢に戦った。アーサー王伝説は、この時期のケルト民族のアングロ・サクソン人に対する抵抗の物語である。7世紀になり、現在のイングランドの前身であるアングロ・サクソン7王国が成立すると、ウェールズはほぼ現在の地域に追いやられた。11世紀にノルマンディー公ウィリアムのイングランド侵攻により、ウェールズもノルマン人の支配の影響を受けることになった。ウェールズが決定的にイングランドの支配下になったのは、1282年である。時のイングランド王エドワード一世は、ウェールズ最後の首長リュウェリン・アップ・グリフィズ(ウェールズ語の発音ではスウェリン・アップ・グリフィス)を戦死させ、王国はイングランドに併合された。しかしウェールズの人は誇り高き民族である。イングランドの支配下にあってもケルト人の末裔として独自の言語(ウェールズ語)と文化を継承している。詩や音楽とりわけハープの演奏など芸術を愛する民族である。ウェールズは緑豊かな山岳が多く、水に恵まれている。ケルト人たちは水には魂が宿ると信じていたという。水の神「龍」はウェールズの守護神となり、ウェールズ国旗に象徴的に描かれている。
ウェールズはユニオン・フラッグに表示されていません。これは、ユニオン・フラッグの最初の形式が登場したとき、ウェールズはすでにイングランドと一体化していたからです。ウェールズの国旗は白と緑の地に赤い龍を配したもので、15世紀に確定し、今もウェールズ全域で広く使用されています。シンボルとしての龍はおそらくローマ軍によって英国へもたらされたものです。伝説によると、この赤い龍はアーサー王の紋章につけられたもので、父であるウーゼル・ペンドラゴン王はそらを飛ぶ龍を見て、自分が王位に就くことを予言したといいます。