螺旋物語(15) | すくらんぶるアートヴィレッジ

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滑り台で忘れてならないのが、イサム・ノグチさんです。
《札幌大通公園》
札幌テレビ塔から、札幌資料館までの、東西全長1.5kmの縦長の公園。公園の歴史はとても古くて、1869年に開拓使のある「北」と民間地の「南」の間に、防火帯として設けられたのが始まりだそうです。夏場は花壇がきれいに整備され、噴水がいくつかあり、冬はイルミネーションや雪まつりの会場になります。西8丁目には「イサムノグチ」の石の滑り台があります。西8丁目と西9丁目の間には、もともと道路がありましたが、イサムノグチの案で西9丁目にある大きな滑り台と共に、子どもたちが安全に遊べるようにと道路がふさがれました。他にも本郷新や、道内の作家の彫刻などが設置されています。5月から秋にかけては、名物焼きトウキビの屋台がでます。最近はふかしたジャガイモも売っています。
《BLACK SLIDE MANTRA》
1986年のベネツィア・ビエンナーレにおいて発表され、現在はイサム・ノグチの設計したフロリダ州マイアミ市のベイ ・フロント・パークに設置されている「SLIDE MANTRA (高さ2.8m、重量60t、白大理石)」シリーズのひとつであり、特異な建築物として知られるインドの遺跡ジャンタル・マンタルの天体観測所に影響を受けて名前が付けられました。この彫刻は、大通公園に強い関心を持ったイサム・ノグチが、既存の子供たちの遊び場をより楽しいものにすることと、大通公園の一つの象徴としての遊び場を創ることを考え、その材質(雪と対照的な黒御影石)とスケール(高さ3.6m、重量80t)をこの空間に合わせて自らが決定し、設置することとしたものです。彼の死後、1992年に大通公園に設置された。また「モエレ沼公園」と札幌市の中心部を結びつける重要な役割も果たしています。未来を担う子供たちがこの彫刻である滑り台にじかに触れ、上がったり、滑ったりすることによって彫刻を理解するとともに、人間を、大地を、宇宙を大いに讃歌することを願って制作されたものです。「この作品は子どもたちのお尻で仕上げられる」とイサムは語っていた。その言葉どおり黒御影石は、磨かれ、触れられ、生誕100年を迎えた2004年、子供たちは「お尻」で彫刻を楽しんでいた。
《イサム・ノグチ》
1904(明治37)年、詩人だった日本人の父とアメリカ人の母との間に、私生児としてイサムは生まれた。少年時代を日本で、青年時代をアメリカで過ごし、制作活動に入ってからは、居を一ヶ所に定めることはなく、アメリカ、日本、ヨーロッパを行き来しながら多様な作品を残した。「子ども心を失った者は、もはやアーティストではない」、「役に立つものを作りたい」とかつてイサムは言ったという。当時、日米の混血というイサムの出自は、疎外され、同世代の子どもとも思い切り遊ぶこともできないという状況を彼にもたらした。だからであろうか、イサムは「遊び場」を作るのに生涯こだわり、さらに、多くの人が見捨てたものに対しては常に手を差し伸べようとした。自分の所属する場所を持てなかったイサムは、どこかに楽園を作りたかったのであろうか。イサムが札幌に残したもうひとつの足跡に、「モエレ沼公園」がある。 かつてゴミ堆積場だった土地を公園にする計画が持ち上がり、イサムは「これはぼくの仕事です」と、積極的にこの仕事を引き受けた。モエレ沼には、イサムの長年あたためていた構想である「プレイマウンテン」(遊び山)が実現されている。その頂上に到る階段には、晩年、制作場所を構えた四国から運んだ石が敷かれている。公園だけで総面積100ヘクタールになるこの壮大なプロジェクトのマスタープランをイサムが作ったのは1988年。その年末、イサムはニューヨークで84歳の生涯を閉じた。設計者を失った公園は、作者の意図の謎の部分を引継ぎながら、2005年3月にすべてが完成する予定