ポロックという画家がいる。短い経歴のなかで、文字通りフォルムの破壊を実行し、彼の作品の歴史に断絶を打ち込んだ重要な時期が二つある。30年代から、メキシコの壁画運動の画家たちに影響を受けて絵画を制作していたが、40年代に入って第一の断絶が訪れる。ただしこの変化は、再現的フォルムからの離脱であり、輪郭は切断されているけれども、フォルムの断片はまだ残されている。第二の断絶は47年頃、それ以前にすでに獲得していたプアリングやドリッピングのテクニックをカンヴァスに全面的に適用した、いわゆるオール・オーヴァによって成し遂げられた。フォルムを包み込むはずの描線は引きちぎられ、ばらばらに散乱し、もはやいかなるフォルムも形成しない。しかしここで注目しなければならないのは、フォルムの破壊ばかりではない。その結果、絵画に生起した事態にポロックがどのように対応したかである。フォルムの二段階にわたる破壊の末に、絵画の構造である図と地の間に分裂が生じてしまった。そしてそれは、ポロックの意識の分裂でもあった。これをどう埋め合わせていくのか。画面を子細に観察すると、その解決のためにおそらくポロックが無意識に採用した方法を知ることができる。それはまず図である線の周辺に、マティエールを盛り上げていくことだった。つまり絵の具の素材を、図と地の間にできた空隙を埋め、深刻な食い違いをなくすように作用させるのだ。この方法は様々に変容して、素材の物質性でポロックの絵画の表面を覆い尽くそうとする。しかしながら、こうした必死の努力にもかかわらず図と地の間に生じた亀裂は塞がれなかった。再現的なものへの回帰だとして論争の的となった、人型のシルエットをくりぬいたカット・アウトでさえ、実はこの分裂を縫合するための苦肉の策だったのだが、裂け目を目立たせるだけに終わった。50年以降さらに事情は悪化する。フォルムの復活を企ててももう遅い。「Blue Poles: Number III,1952」には、彼の最終的な挫折を印す墓標のようなポールが、斜めに悲しげに突き刺さっている。第三の断絶が必要だったのかもしれない。相次ぐ失墜にもかかわらず、イカルスのように失墜し続けたからこそ、ポロックは、絵画だけでなくアートの絶対的に新しい地平を切り開くことができた。それは、アートのマテリアリティ(物質性)というモダンアートの究極のフォルムだったのである。 悲劇的マテリアル・・・ジャクソン・ポロック回顧展より