【深夜高速バス】大阪ー東京 ②靖国神社・遊就館に行ったのです。 | もも日記

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桃色のヒコーキで日本全国、そしてアジアへ

滞在時間 17時間30分。

東京弾丸0泊3日の旅。




小雪と雨の降る、首都・東京。

アウトドア活動が出来ないので、

インドア活動することにしました。




まず新宿から向かったのが、市ヶ谷。

JR市ヶ谷駅








そう、ここは私の中で聖地である、

靖国神社の遊就館がある場所。











もう遊就館に訪れるのも5回目くらいかな。

ここで複雑な日本の戦争の歴史の勉強をするのです。




建国より二千六百有余年。


東海の美しい列島に我が国は独立して文化をはぐくんできました。


しかし、この独立は当然にしてあったのではない。


大八洲(おおやしま)と称されるこの国土には、


歴史上いくつもの戦いがあった。


世界史の大きな潮流のなかで、


必死にこの国を守り支えてきた先人たちがいた。


先人の魂にふれ、その志についてまなぶことは、


現代に生きる日本人の生き方である。





日本人は自国の戦争の歴史について、


ちゃんと理解してる人が少ないと思うのです。


私は一方的なとらえ方でなく、日本の歴史を


正しく理解したいと思っているのです。








1階のエントランス。


零式艦上戦闘機が鎮座。

零式艦上戦闘機 52型










零戦は戦争の道具。

遺族からしたら、大切な家族を奪った死の道具なのかもしれません。


見たくもないものなのかもしれませんね・・









雨の遊就館



































































































































































今回も遊就館でじっくり、日本の戦争の歴史を振り返りました。



なぜ日本は戦争に走ったのか?


その時の時代背景も考えながら


歴史を振り返ると、なるほど・・と思える瞬間があります。




最後に、毎回、遊就館に訪れて胸が熱く込み上げるのが、


若くして戦地に赴き、妻を娶ることなく戦死した息子に、


戦後何十年経ってから、年老いた母親が靖国神社に奉納した花嫁人形と、


その息子に宛てた母親の手紙。

佐藤武一命は歩兵第二十二聯隊所属。


昭和二十年四月十日沖縄本島幸地にて戦死。


北海道山越郡八雲町出身、二十三歳。

昭和五十七年、北海道に住む、


八十四歳になった母・佐藤ナミさんは、


佐藤武一命に宛てた一通の手紙と共に、


靖国神社の御神前に「桜子」さんと名付けた花嫁人形を奉納した。


妻を娶ることなく若くして戦死した我が子の為に、


せめてもの願いを人形に込め奉納したのであろう。


その手紙には、



武一よ貴男は本当に偉かった。23才の若さで家を出て征く時、


今度逢う時は靖國神社へ来てくださいと雄々しく笑って征った貴男だった。


どんなにきびしい苦しい戦いであっただろうか。


沖縄の激戦で逝ってしまった貴男。


年老いたこの母には今も23才のままの貴男の面影しかありません。


日本男子と産まれ、妻も娶らずに逝ってしまった貴男を想うと涙新たに胸がつまります。


今日ここに日本一美しい花嫁の桜子さんを貴男に捧げます。


私も84才になりましたので、元気で居りましたら又逢いに来ますよ。


どうか、安らかに眠ってください。有りがとう。


昭和五十七年三月二十八日    母ナミ






何度訪れても、この話には泣けます…







複雑化する国際情勢の中、国家の主導者や、


戦争を知らずに育った世代が、また同じような過ちを起こさないことを願うばかりです。

如何なる理由があろうとも、

戦争は絶対に悪。


戦争は絶対にしてはいけないのです!



つづく。