『ブルージャイアント』〜出家者としての宮本大〜 | 杉原学の哲学ブログ「独唱しながら読書しろ!」

ジャズをやっている友人に教えてもらって観に行ったアニメ映画『ブルージャイアント』。

 

心を揺さぶられて、すぐさま原作漫画『ブルージャイアント』を中古&新刊で買い漁り、8巻まで読み終わった。ちなみに映画の内容は、10巻までのストーリーを再編集したもの。10巻まで漫画を読み終わったら、もう一度映画を見ようと思っている。上映期間中に間に合えば、だが。

 

僕が同じ映画を2回観ようと思ったのは、もしかするとこれが初めてかもしれない。もちろん内容が素晴らしかったのは言うまでもないが、実は理由はそれだけではない。

 

恥ずかしながら、映画の途中から小のほうをずっとガマンしておりまして、たまらずエンドロールとともに劇場を飛び出したのである。「エンドロールの後に続きがありませんように……」と願いながら。

 

しかし運命というのは残酷なもので、こんな時に限って続きがあったようだ。いつもは「エンドロールの後にもうワンシーンあったらいいのにな〜♫」と期待してるのに何もなかった!ということのほうが多いのに。たぶんこういうのを「マーフィーの法則」とか言うのだろう。いまさらやけど、マーフィーって誰やねん。

 

というわけで、そのエンドロールの後のシーンのためにリベンジしたい、という思いもある。上映前は必ずトイレに行き、上映中は水分を一切とらないようにする。僕ならやれると思う。

 

それはさておき、『ブルージャイアント』は、世界一のジャズブレーヤーを目指す青年が、テナーサックスとともに成長していく物語である。

 

その他のいろんなことを犠牲にしながら、毎日ひたすら練習をし続ける彼の生き方は、仏教学者の佐々木閑さんの言う「出家的な生き方」に近いかもしれない。

 

佐々木さんの言う「出家」は、決してお坊さんになることだけを意味しない。そうではなく、いわゆる俗世を離れ、自分の世界をどこまでも追求すること。それを佐々木さんは「出家的な生き方」と言うのである。

 

ただ、自分の世界の追求に時間を費やすことは、その人の生活自体の成立をむずかしくさせる。それを可能にするのは、周りの人たちの支えである。そこには善意が介在していることも多いが、必ずしもそれだけではない。

 

「彼が追求する世界の先には、いったいどんな景色があるのだろう」

「彼なら、その景色を私たちに見せてくれるかもしれない」

 

そんな人々の期待が、出家者を支援させる。強いて言うならば、その期待に応えることが、出家者の、出家者にしかできない、「お返し」である。その意味でこの作品は、ひとりの「出家者」の物語である、と言えなくもない。

 

心を動かされる作品にしばらく出会わないと、「もしかすると、作品がつまらないんじゃなくて、自分の感受性が死んでしまったんじゃないか」と不安になることがある。けれど、『ブルージャイアント』のような作品に出会うと、「ああ、まだ生きてたんやな」と安心できる。

 

映画も、音楽も、漫画も、良い作品には人生を変える力がある。そのことを改めて確信させてくれる映画である。