この『火花』という小説のタイトルは、よく「花火」と間違えられる。そう言う僕も最初は勘違いしていたし、実は作者の母も間違えていたらしい(又吉談)。
だがそれもゆえなきことではない。というのも、ただでさえ同じような字面で紛らわしいのに、物語はその間違いのほうである「花火」のシーンから始まるのだから。
大空に咲く「花火」。
地上で散る「火花」。
「花」と「火」という二つの漢字の「転倒」、あるいは「逆転」。実はこの「転倒」「逆転」ということの中に、この小説のテーマが潜んでいるのではないだろうか。
さて、ここから先は、小説を読み終えた人だけ読んでください。
その「転倒」あるいは「逆転」というテーマが最も象徴的に描かれているのが、物語のクライマックスとも言える、スパークスの解散ライブの場面だろう。ここで、主人公は次のように言う。
「世界の常識を覆すような漫才をやるために、この道に入りました」
彼は漫才で世界をひっくり返そうとしたのだ。そして最後の漫才で披露したネタは、「あえて反対のことを言う」「思っていることと逆のことを全力で言う」というものだった。
その渾身の漫才は、お客さんたちを笑わせるのみならず、大いに泣かせた。常識を覆す「泣かせる漫才」。彼らは世界をひっくり返したのである。
そもそも漫才には、この「転倒」「逆転」という構造が、あらかじめ内在しているのだと僕は思う。たとえば「笑いの本質は緊張と弛緩だ」とよく言われるが、これもひとつの「転倒」であり「逆転」だろう。
そして漫才の中では、ときに「常識と非常識」の転倒があり、それが「ボケとツッコミ」の逆転として現れることもある。みんなが深刻に捉えていることを笑い飛ばし、一方で、普段は見向きもされない人や出来事に強烈なスポットライトを当てる。
失敗も成功も、幸も不幸も、漫才師の手にかかれば等しくネタでしかない。どちらが上でも下でもない。善も悪もない。良いも悪いもない。あるのは「面白いか、面白くないか」だけだ。
この「面白いか、面白くないか」の精神を純粋に体現しようとする存在、それが物語の中心人物のひとり、神谷である。神谷は、自分を師匠と仰ぐ主人公に対してこう言い放つ。
「美しい世界を、鮮やかな世界をいかに台なしにするかが肝心なんや」
この言葉は、神谷の漫才に対する哲学を表現している。と同時に、作者はこの哲学を、この小説そのものにも反映させているのではないだろうか。
物語の終盤、まるで奇をてらうかのような、あまりに唐突な展開に驚き、あるいは失望した人さえいるかもしれない。わざわざそんなことをせず、あの解散ライブの余韻のままに、物語を美しく閉じていればよかったのに……と。
しかし作者はそうしなかった。作者は神谷の漫才哲学を、小説においても実践して見せたのである。「美しい世界を、鮮やかな世界をいかに台なしにするかが肝心なんや」。
主人公と神谷との師弟関係は、物語の中で次第に揺らぎ、転倒の様相を呈する。けれども、この「美しい世界を台なしにする」かのような展開を見て、「ああ、主人公も、作者の又吉も、やっぱり神谷のことを尊敬し続けてるんだな」という気がしたのである。
ちなみに、又吉が自身のユーチューブ番組で語ったところによれば、彼はこの小説自体を、ひとつの漫才として表現しているそうだ。とすれば、そこに神谷の漫才哲学が反映されるのは、全く不思議なことではないだろう。
熱海の夏の花火大会で幕を開けたこの物語は、熱海の秋の花火大会で幕を閉じる。この小説において、「花火」はどんな意味を持っているのだろうか。僕はやはり、タイトルである「火花」との対照関係で考えてしまう。
「花火」は夜空に華々しく咲き誇り、多くの人の拍手や喝采を受ける。芸人の世界で言えば、テレビに出てメジャーな世界で活躍することの比喩とも取れる。
それに対して「火花」とは何か。この小説では、主人公と神谷、あるいは芸人同士の対決を想起させる。だがそれと同時に、作者の頭にあったのは「線香花火」の美しさではないだろうか。
線香花火は、まさに火花そのものである。打ち上げ花火のような派手さはないし、一緒に鑑賞できる人数は少ないけれど、顔を寄せ合い眺めていると、不思議な一体感が生まれてきたりもする。芸人の世界で言えば、メジャーな世界には行けなかったけれど、身近な人たちを笑わせ続ける存在、と言えるかもしれない。
神谷によれば、漫才の世界には勝ち負けがちゃんとあるから面白い。だが同時に、そこで淘汰された存在は決して無駄ではない。
「一回でも舞台に立った奴は絶対に必要やってん。ほんで、すべての芸人にはそいつ等を芸人でおらしてくれる人がいてんねん。家族かもしれへんし、恋人かもしれへん」
芸人を目指す全ての人が「花火」になれるわけではない。けれども「火花」であり続けることはできるし、それは必ずしも「花火」に劣ることを意味しない。それは、ものの見方をちょっと変えるだけで、幸と不幸が「逆転」してしまうようなことかもしれない。
ちなみに、又吉が「ピース」を結成する前、別の相方と組んでいたコンビ名が「線香花火」である。
「読んだら絶対に嫉妬してまうから読まん」と言ってずっと避けてきたこの『火花』だが、読み終えてみると素直に面白かった。良い小説か、と聞かれても答えようがないけれど、好きな小説であることは間違いない。
「これが芥川賞を取るのなら、芥川賞もまだ捨てたもんじゃないな」などとひとり謎のマウントを取ろうとしてしまうのは、やっぱりちょっと嫉妬しているのだろうか(笑)。
おかしくて、切なくて、優しい物語である。