急速に消えゆく土葬の風習を記録した労作。
重いテーマには違いないが、平易な言葉で綴られており、決して難解ではない。初めて知る土葬の風習に好奇心をくすぐられ、そこに込められた人々の願いに心動かされる場面もしばしばであった。
本書によれば、日本の火葬率は2005年時点で99.8%。「土葬はいずれなくなるだろう」と著者も考えていたそうだが、近年、その衰退のスピードは想像以上に凄まじいという。
2013年に「まだ土葬が九割以上残っています」と誇らしげに語っていたある地区の住職が、2019年には、「もう土葬は残っていません」とうなだれていたというエピソードは、読む人に衝撃を与える。
この土葬の急激な消滅が、本書の価値をより高いものにしていることは言うまでもない。失われゆくものを記録してきた柳田國男、宮本常一らの民俗学的業績に連なる貴重な仕事だと思う。
本書では土葬以外にもさまざまな弔いの方法にふれられているが、印象的だったのは、与論島の人々の風葬に対するこだわりである。
風葬では死者を野ざらしにするわけだから、土葬よりもある意味で雑な弔い方のように思われる。ところが、現地のある人はこう言ったという。
「(死者を)土に埋めることは、犬や猫じゃなるまいし、亡くなった父や母に対してたいへん申し訳ない。そんなことをすれば先祖に祟られるという気持ちだったのです」
そういう考え方もあるのか!と僕は目を見開かされる思いがした。著者の高橋さんも、「この返答には、正直なところたいへん驚いた」と述べ、「少なくとも明治時代、風葬から土葬への移行期の与論島の人々にとって、風葬は、土葬と比べることのできないほど、はるかに自然で正しいと弔い方だったのである」とまとめている。
このように、自分のこれまでの価値観や考え方がひっくり返される瞬間、これこそが読書の醍醐味だろう。それは、自分の知識を増やすというより、自分の知識が及ばない世界の大きさに気づく体験である。
考えてみれば、僕らは「あの世」のことを何一つ知ることができない。にもかかわらず、人々は太古の昔から、死者をよりよい場所へ送るための橋渡しを試みてきた。
そのような「未知の世界への旅立ち」の時に、当時の人々が身近に触れ、その生活を支えてきた「土」に身を委ねるのは、とても自然なことのようにも思える。
とすると、これからの僕たちは、何に身を委ねてあの世へ旅立ってゆくのだろうか。そうした死の地点から、自らの生を捉え直すきっかけをくれる一冊である。