『マチネの終わりに』に寄せて | 杉原学の哲学ブログ「独唱しながら読書しろ!」

いわゆる大人の恋愛物語だが、

この中で語られる「時間論」も興味深かった。

 

結婚式のスピーチなどでよく語られる、こんな話がある。

 

人生には3つの坂がある。

ひとつは「上りざか」。

ふたつめは「下りざか」。

そしてみっつめが、「まさか」である。

 

半分冗談のようだが、

人生には確かに、その「まさか」がある。

 

しかも往々にして、

その「まさか」が、その人の人生を決定づける。

それは人生を長く生きてきた人ほど、

おそらくはよく知っているはずの経験則である。

 

そんなバカな、と思うような「偶然の不幸」。

 

それがバカバカしければバカバカしいほど、

他人には語り得ない、深い傷を残すのかもしれない。

それはときに、

一人で抱え続けるにはあまりに重すぎるほどに。

それでも人は、生きてゆかなければならない。

 

この小説には、

「未来は、過去をも変える」

という思想が通奏低音のように流れている。

主人公のギタリスト、蒔野はこう語る。

 

「人は、変えられるのは未来だけだと思い込んでる。

 だけど、実際は、未来は常に過去を変えてるんです。

 変えられるとも言えるし、変わってしまうとも言える。

 過去は、それくらい繊細で、感じやすいものじゃないですか?」

 

この物語の大きなターニングポイントとなる「事件」は、

まるでトレンディドラマのハプニングのように

「ありえない!」と思わせる展開を見せる。

 

読者は半ばあきれながらも、

まるで泥沼に足をとられて沈み込んでいくように、

その展開を見届けることになる。

 

人生に深い影を落とす記憶。

だが、深い影は必ず強い光によって作られなければならない。

同じように、強い光は深い影を生み出す。

この不完全で、美しい世界。

 

これほど深い余韻を残す小説に出会ったのは

初めてかもしれない。

 

人によっては大きく心を揺さぶられる物語なので、

ぜひ心が健やかな時に読むことをオススメしたい。

 

 

平野啓一郎『マチネの終わりに』毎日新聞出版、2016年。