考えない論「奇跡の仕組みと量子論 」 | 杉原学の哲学ブログ「独唱しながら読書しろ!」

科学はこの世の不思議を一掃するかのごとく、

急速な発展をとげてきました。

 

そんな中にあって、

いまだに人間の知性ではとらえきれず、

あのアインシュタインでさえ解明できなかったのが

「量子論」の世界です。

 

量子論の生みの親と言われるボーアは、

その理論のあまりの不条理さを、

「量子論によってショックを受けない人は、

 量子論をわかっていない人だ」

という言葉で表現しました。 

 

量子論とは、ひとことで言えば、

「ミクロの物質世界の理論」のこと。

 

一ミリの一千万分の一、素粒子の世界の話。

 

このミクロの世界の不思議とは、

いったいどんなものなのでしょうか。 

 

たとえば、あなたがいま

夜空に浮かぶ月を見ているとします。

 

「今日は満月か〜」とかなんとか言いながら。 

 

では、あなたがその月を見ていないとき、

月はいったいどこにあるでしょうか。

 

「そりゃ同じ場所にあるに決まってまんがな」

というのが常識的な答えでしょうが、

ミクロの世界ではそうはいきません。

 

誰も月を見ていないとき、月は、

「さまざまな場所に存在している」のです。

 

そしてあなたが月を見た瞬間に、

「ここ!」という一か所に決まります。

 

月自体は大きいのでその影響が見えませんが、

月を構成しているミクロの物質は

確かにそのような振る舞いをしているのです。 

 

あまりに非常識な理屈に聞こえますが、

なぜこういうことが起こるのでしょうか。

 

実はミクロの物質は、

「粒」としての性質と、

「波」としての性質の、

両方の性質を持っています。

 

そして、

「誰にも見られていない時は波になっていますが、

 誰かに見られると急に粒に変身してしまう」

のです。

(佐藤勝彦監修『〔図解〕量子論がみるみるわかる本』PHP研究所) 

 

もうこの時点で意味不明だと

感じられるかもしれませんが、

実際に意味不明なのです(意味不明)。

 

でもこの理論でいくならば、

ぼくたちは自然を「あるがまま」に

見ることは絶対にできない、

ということになります。

 

ぼくたちがそれを「見る」こと自体が、

その対象物に影響を与えているからです。

 

つまり、ぼくが見る自然(=物質)とは、

本来はぼくが見たままのものではなく、

「ぼくが見ているから」そうなっているのです。

 

自分で書いていてもよくわかりませんが、

なんせ誰も理解できないとウワサの

量子論の話ですので、もうかまわず突き進みます。

 

とにかく、ミクロの物質(素粒子)は、

「粒」であり「波」である、

ということだけぼんやりと

共有できればじゅうぶんです。

 

ぼくらが見たときは

「粒」として一か所に存在し、

見ていないときは「波」として

さまざまな場所に存在します。

 

さて、ここでさらに唐突ですが、

どうやらぼくらの「意識」というやつも、

実は素粒子と同じような性質を

持っているというじゃありませんか。

 

これを量子論的にとらえれば、

顕在意識(意識された状態)が「粒」の状態であり、

潜在意識(意識されない状態)が「波」の状態である、

ということが言えると思います。

 

だとすれば、潜在意識は

波の状態としてあらゆる場所に存在可能である、

ということもできるのではないでしょうか。

 

でも、これはけっきょくミクロ世界の話。

 

「あらゆる場所」と言っても、

その範囲はせいぜいミクロの規模なんだから、

実際にはほとんど同じ場所だろう、

と言われてしまうかもしれません。

 

しかし、はたしてそうでしょうか。 

 

たとえば、ユングが思っていたように、

「あらゆる生命は潜在意識でつながっている」

としたらどうでしょう。

 

もしそうだとしたら、

ぼくらの潜在意識はあらゆる場所に

一瞬にしてアクセスできる、

ということにならないでしょうか。

 

その潜在意識が世界を飛び交い、

世の中のさまざまなものごとに、

影響を与えているのだとしたら。

 

それはぼくら人類の歴史の中で、

「奇跡」や「祈り」と呼ばれてきたものに

ほかならないような気がするのです。 

 

我を忘れるほど

何かに夢中になって取り組んだとき。

 

心の底からの想いを

何かに届けようとしたとき。

 

自分というものがなくなって、

考えるということを忘れたとき。

 

思いもよらない形で、

ミクロの世界の現象がマクロの世界を

変えてゆくのかもしれません。 

 

……それにしても、

今回はかなり無理をしました(笑)。

 

でもこうした「よくわからないこと」こそが、

きっとぼくたちの心を豊かなものに

してくれているのでしょう。

 

 

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