考えない論「無意識という名の映画監督」 | 杉原学の哲学ブログ「独唱しながら読書しろ!」

ぼくらが眠っているときに見る「夢」。

 

これにはいったい

どういう意味があるのでしょうか。

 

自分が気にしているようなことが

毎回映像として浮んでくる、

というのであればわかりやすいのですが、

とにかく脈絡がないのが夢の面白いところ。

 

職場の状況がリアルに再現されることもあれば、

「未来にタイムスリップして怪獣と戦う」

というような突拍子もない世界の中に

いきなり放り込まれてしまうこともあります。

 

そしてぼくらはその夢の内容を思い出して、

「一体どういう意味があったんだろう……」

などと考えてみたりするわけです。

 

多くの研究者もそこに意味を求めてきましたが、

はたして本当に意味などあるのでしょうか。 

 

ぼくがなんとなく思っているのは、

実は夢の「内容」には全く意味がなくて、

その夢を見たときの「感情」のほうに

重要な意味があるのではないか、ということです。

 

睡眠には、記憶を整理するはたらきが

あることはよく知られていますが、

実は「記憶」と「感情」は強く結びついています。

 

試しに、なぜかずーっと覚えている

昔の記憶を思い浮かべてみてください。

 

それは、あなたの心が

大きく動いた場面だったのではないでしょうか。 

 

そんな昔のことじゃなくても、

たとえばあのとき、あの場所で、

「誰と会ったか?」を思い出そうとするとき。

 

具体的な相手は思い出せなくても、

「一緒にいて楽な人だったなー」とか、

「なんとなくイヤな気分だった」とか、

そのときの「感情」だけは明確に覚えていたります。

 

ぼくなんかはその感情をたよりに、

「一緒にいてこんな気持ちになる人と言えば……」

というふうに思い出すことがけっこうあります。

 

つまり夢の目的とは、

ぼくらにそのときの「感情」を

繰り返し再現させることによって、

そのときの「記憶」を長く定着させる、

ということにあるのではないでしょうか。 

 

別の言い方をすれば、夢とは、

ぼくらに「ある特定の感情」を抱かせるための、

計算され尽くした「オリジナル映画」なのです。

 

しかしそれに対して

こんな反論があるかもしれません。

 

そのときの感情を再現させたいんだったら、

そのときの場面をそのまま

再現すればいいじゃないか、と。

 

しかし本当にそうでしょうか。 

 

たとえばものすごく怖い

ホラー映画を見たとします。

 

きっと一回目に見たときの怖さと、

二回目に見たときの怖さというのは、

おそらく全く違ったものに

なっているのではないでしょうか。

 

つまり夢は、そうしたことも織り込みずみで、

「そのときと全く同じ感情」を抱かせるための

綿密な脚本を組み立てているというわけです。

 

その感情さえ再生できればそれでいいので、

ストーリーに脈絡があろうがなかろうが、

そんなことはどうだっていいのです。 

 

いろんな人の話を聞いてみると、

やはり「怖い夢」を見ることが多いようですが、

それも実はあたりまえのこと。

 

「怖いときの記憶」を覚えておくことは、

自分の生命を守る上で

何より重要なことなのですから。

 

ぼくらが一生懸命アタマを働かせても、

同じように機能する映画など

到底つくれそうもありません。

 

それをぼくらの無意識は、

自然にやってのけているわけです。

 

自分の中にこんな

「天才映画監督」がいると思うと、

夢を見るのがちょっと

贅沢な気分になりませんか? 

 

とはいえ、ホラー映画だけは

できるだけ控えめな演出に

していただきたいものですが。

 

 

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