【映画】『珍遊記』&【漫画】『火の鳥』 | 杉原学の哲学ブログ「独唱しながら読書しろ!」
3月1日は「映画の日」。
新宿バルト9に『珍遊記』を観に行った。

映画が終わったあと、
ある若いカップルの女性が

「これ何の意味があるの?
 みんななんで観に来てるの?」

と少し動揺した様子で
彼氏に尋ねていた。

もちろん意味などない。
意味のないものを観に来たのだ。

映画の冒頭いちばん最初のセリフが

「ちんこ」

なのだから、
全く内容を知らずに
連れて来られた女子にとっては
悲劇以外のなにものでもない。

僕は『週刊少年ジャンプ』で
原作の漫画をある程度読んでいたので、

「あれが一体どうなるのか」

という好奇心が少しはあったが、
特に何も期待してはいなかった。

しかし結論から言うと、面白かった。

気がついたら「終劇」で、
「もっと観たいな~」という感じ。

バカにされるかもしれないが、
続編が出たら僕は観に行く(笑)

原作のストーリーなど
全く覚えていないが、
その型破りで自由な空気感は
継承されていたのではないだろうか。

映画を観終わって帰宅してから、
図書館で借りていた手塚治虫の漫画
『火の鳥<黎明編>』を読んだ。

こちらは一転高尚な内容だが、
『珍遊記』とはまた違った意味で
自由さを感じさせる作品でもある。

重厚なテーマにもかかわらず、
ストーリーの途中に別の漫画の
キャラクターが登場したり、
暗号的な仕掛けがあったり、
作者自身が登場したり。

こちらを読み始めたのは、
テレビで浦沢直樹さんが
「『火の鳥』を読んで悟った」
というようなことを言っていたからなのだが
(僕の記憶なので間違ってる可能性大)、
冒頭から人間の「業(ごう)」が
日常のように描かれていて、
映画『珍遊記』の「ちんこ」とは
また違った意味でびっくりした。

『珍遊記』と『火の鳥』を
並列に語るのは罰当たりな気もするが(笑)、
にもかかわらずそれができてしまうのが
漫画の素晴らしさである。


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