ソリューションとは何か | 杉原学の哲学ブログ「独唱しながら読書しろ!」
「ソリューション」という言葉がある。

もともとは、

「企業が抱えている問題を、
 ITシステムやビジネスモデルで解決すること」
(コトバンクより)

として使われだしたらしいが、
最近では一般に「解決策」という意味で
使われるようになっている。

とすれば、
生きることそのものが
ソリューションの連続だと
言うこともできるかもしれない。

人生にはさまざまな問題が発生し、
人は意識する・しないにかかわらず
それを解決しながら生活している。

たとえば煎餅を食べるときなどだ。

みんなの定番「雪の宿」などを
想像してもらえばよいだろう。

これを食べるとき、
どうしてもカケラがぽろぽろと
下に落ちてしまう。

自分の家で食べる時はまだしも、
よその家などで食べる時には
非常に申し訳ない気持ちになる。

そこでぼくが考えた
第一のソリューションは、
「吸いながら食べる」
という手法だ。

こうすることで、
カケラが落ちる前に
吸い込んでしまうのである。

一見パーフェクトな
ソリューションに思えるが、
実はこれにはいくつか欠点がある。

第一に、
全てのカケラを吸いきることはできない、
という問題である。

吸いながら食べていても、
ぼくがダイソンではない以上、
その吸引力には限界がある。

どうしてもパラパラと
小さなカケラが落ちてしまうのだ。

そしてその問題を解決するために
「強く吸いながら」食べようとしたとき、
第二の問題が発生する。

吸ったカケラがダイレクトに気管に入り、
思いっきりむせてしまうことがあるのだ。

最悪の場合には煎餅を吹き出して、
よそ様の家で地獄絵図を展開することとなる。

こうなってしまっては、
一体何のために吸っているのかわからない。

そこで新たに採用したソリューションは
画期的だった。

それは、

「袋の中に入っている状態で
 あらかじめひとくち大に割っておく」

という手法である。

そう、これは自分で発明したのではなく、
「そういえばみんなこうやってたな」
というのを思い出しただけなのだ。

これまでは
他人がそうやって食べているのを見ても、

「食べる前に割っておくなんて、
 煎餅の醍醐味をわかっとらんのう……」

と全く意に介さなかった。

だが今となっては
自分の愚かさに恥じ入るほかない。

「そうか、だからみんな
 こうやって食べていたのか!!」

どんな素晴らしいソリューションも、
それが自分にとっての問題解決となって
初めてその素晴らしさに気づくものである。

だとすれば、
ぼくらのまわりには、
ぼくらがまだ気づいていないだけの
素晴らしいソリューションが
たくさんあるのかもしれない。

ちょっと飛躍して考えてみれば、
「風邪をひく」というのだって
身体を健全に保つためのソリューションだ。

ぼくらはついつい
「風邪は邪魔者」と思ってしまいがちだが、
風邪がなかったら際限なく無理をしてしまって、
致命的に体調を崩してしまうかもしれない。

さらに飛躍して考えてみれば、
「みんなにできることが自分だけできない」
ということだって
ひとつのソリューションではないか。

自分だけできないなら、
みんなとは違う方法を
編み出さなければならない。

なんなら、

「それを編み出さなくたって
 なんとかなる方法」

を編み出したっていい。

「種の存続」のためのキーワードが
「多様性」なのだとすれば、
「みんなと同じようにできない」
ということは、ときに
「人類的なソリューション」と
つながっていることになる。

ここから導き出される結論は、
おのずから次のようになろう。

「袋の中に入っている状態で
 あらかじめひとくち大に割っておく」
という既存のソリューション。

これを超える
新たな食べ方を開発することに、
全人類の存亡がかかっているのだ。


にほんブログ村 哲学・思想ブログへ
にほんブログ村