お金に換算する必要のない価値 | 杉原学の哲学ブログ「独唱しながら読書しろ!」



農業をやっている友達から、
自然栽培の野菜と干し芋をもらった。

野菜を包んでいる新聞を広げると、
土がぽろぽろと落ちてくる。

スーパーで買った野菜に
あんまり土がたくさんついていると
「大丈夫か?」っていう気になるけれど、
友達にもらった野菜の場合は、
土がついていることもまたうれしい。

市場ではマイナスポイントになることが、
コミュニティではむしろプラスになる。

あんがいこんなところに、
これからの社会デザインのヒントが
あるのかもしれない。

GDPの増加には
貢献しないかもしれないけれど、
「なんだかうれしいなあ」
という気持ちを生み出すもの。

人はそれを、
「お金に換算できない価値」
と呼んだりする。

でも僕はそれを
「お金に換算できない価値」ではなく、
「お金に換算する必要のない価値」
と呼びたい。

「できない」のではなく、
「する必要がない」のである。

お金に換算しなければ
価値がわからないものなんて、
もともとその人にとっては
価値のないものなのだ。

それを貨幣換算した時点で、
その人は「それ以外の何か」を
求めているのである。

だからこの野菜たちを
「5,000円で売ってくれ」
と言われても、
ぼくは決して誰にも売らないだろう。

だがもし
「50,000円で売ってくれ」
と言われたならば、話は別だ。

スマン!!(>_<)


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