無農薬、無化学肥料の「循環農法」で
野菜を育てる百姓、赤峰勝人さん。
彼によれば循環農法とは、
「自然の掟に従う農法」のことであり、
「人間の人智が及ばない
自然の真理や法則にしたがって、
作物が育つ手伝いをする農法」
であるという。
そこでの主体は人間ではなく、
自然や作物なのだ。
こう書くとなにやらスピリチュアルな、
非日常的な世界をイメージするかもしれない。
だがこの本を読んでみればわかるように、
こちらの方が「あたりまえ」なのであって、
異常なのは近代農法の方であった。
彼によれば、
雑草は土の栄養分を奪ってしまうのではなく、
その土に足りない栄養分を作り出す役割を持って
生えてきているというのだ。
「私は畑に生える草を
「神草」と呼ばせてもらっています。
土に足りないミネラルを補うために、
そこに必要な草しか生えてこないのです。
……土ができてくるとやがて
イネ科の草やスギナは姿を消し、
今度はナズナやハコベがいっぱい出てきます。
カルシウムたっぷりの
豊かな土になった証拠です」(140頁)
にもかかわらず、
雑草は邪魔なものだと決めつけ、
田んぼや畑を豊かにしてくれる生命を
農薬や化学肥料によって皆殺しにしてきたのが
近代農法であった。
彼の言葉にひとたび耳を傾けると、
世界が全く違って見えてくるから不思議だ。
そのへんに生えてる雑草や小さな花も、
「こいつはどんな役割を持って生えてきたんだろう?」
と思って見てみると、とても興味深い。
「傲慢」の「傲」という字は、
「人が土から放れる」と書くのだと彼は言う。
太陽のエネルギーを
人間が利用できる形に転化してくれる
植物の不思議なチカラ。
「酸素をつくれるのは、
植物の緑だけだということを、
みなさん忘れていませんか」(142頁)
という赤峰さんの素朴な問いかけは、
近代という時代の盲点を突いている。
農業に関心のある人だけでなく、
人間らしく生きたいと願うすべての人に
おすすめしたい一冊。

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