納得のいかないことがあった。
それは、
トイレでオナラをした時に、
一緒にいた友達などから
「オイ!」とか、
「屁ーすんなや!」とか、
「最悪やな!」などと
クレームを言われることだ。
僕としては、
「ウンコとかオシッコをする場所で
オナラはしたらあかって
どーゆーことやねん!
じゃあどこでしろっつーねん!」
という気分なのである。
これはすごい正論だと思っていた。
しかし今日の朝、
家のトイレで大きめのオナラをして、
ふいに悟った。
「ああ、俺が間違っていたのだ」と。
いや、
それはトイレでオナラをしては
いけなかった、ということではない。
彼らのクレームは
「そのこと」に対してではなかったのだ。
彼らの言いたいことは、
「トイレでオナラをするな!」
ではなく、
「オレの前でオナラをするな!」
だったのだ。
なぜそんなことに
今まで気づかなかったのか。
確かに子どもの頃は、
オナラというものは
人前ですることに
価値があるものだった。
「チューリッ(屁)」
「ホッ(屁)ステッ(屁)ジャン(屁)」
「クマの(屁)さん」
など、
それをいかに見事に
演出するかが子どもにとっては
一つの課題だった。
そしてその課題を共有し、
評価してくれる人たちがいた。
でも大人になれば、
誰もそんなことは求めなくなる。
そんなことはわかっている。
だから僕はそういう演出を
ある時からきっぱりやめた。
それは自分にとっては
「大人対応」にほかならなかった。
……そこに「おごり」があったのだと思う。
「オナラの演出をしないこと」
では充分ではなかった。
本当に求められていたのは、
「オナラをしないこと」
だったのだ。
完結に言い直そう。
「オナラの演出をしないこと」
が大人なのではなく、
「オナラをしないこと」
が大人だったのだ。
これから大人になろうとする
全ての子どもたちに言ってこう。
大人になるということは、
「オナラの演出をしないこと」ではなく、
「オナラをしないこと」である。
入学、おめでとう。

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