僕はふだん出かけるときは
1dayタイプのコンタクトをつけているのだが、
なんだか急にめんどくさくなって、
メガネのまま学校へ出かけた。
こういうことはたぶん初めてなので、
学校の人たちの反応ははたしてどうなのか。
少しドキドキしながら到着したのだが、
誰一人としてメガネについてふれようとしない。
見る人に「ふれてはならない」と
思わせるほどすさまじく似合っていないのか?
不安にかられていると、ある人が、
「あれ、杉原さん……」
おお、ついにきたか!と思いきや、
「ヒゲすごい伸びてますね。
でも似合ってますよ。」
ちょっと待て。
確かにヒゲは伸びているが、
そっちじゃないだろう。
しかも、「でも」ってなんやねん。
その後も誰もメガネにはふれてくれず、
結局「自己申告」という
最悪のかたちをとることになった。
しかしこれはどうとらえればいいのだろう。
誰も気づかないということは、
要するに違和感がないということだろうが、
これは「似合っている」と同義なのだろうか。
「似合っている」という言葉を分解すると、
「似ている」と「合っている」になる。
文字通り「似ていて、合っている」
ととらえることもできるが、
次のような解釈もあるかもしれない。
自分と対象物とが「相互に似ている」
という意味で、お互いに
「似あっている」のである。
確かに、このどちらの解釈でいっても、
「似合っている」というのは、
「違和感がない」に極めて近い概念に思える。
ここまできたら辞書で調べてみよう。
大辞林によると、「似合う」というのは、
[調和する。相応する。]
といった意味だそうだ。
ますます「違和感がない」でよさそうだ。
しかしこれでは、
どんなに自分で「似合う」と思う格好をしても、
「キャー!それめちゃくちゃ似合ってますね!!」
と言われるのは概念矛盾ということになる。
本当にめちゃくちゃ「似合って」いれば、
違和感がなさすぎて「誰も気づかない」はずなのだ。
「キャー!」というような素敵は反応は、
その時点で「似合っていない」ことの証しなのだ。
そうだとすれば、僕のメガネは
どうやらとってもよく似合っていて、
似合っていなかったのは
ヒゲの方ということになる。
…この納得のいかない感覚は
いったい何なのだろうか。