【映画】TIME/タイム | 杉原学の哲学ブログ「独唱しながら読書しろ!」
かすかな期待を抱いてみに行ったが、
やはり世の中はそんなに甘くなかった。

「時間が貨幣になった世界」
というのがこの映画のキーなわけだが、
こうした理念は現実の資本主義社会の中で
すでに実現されてしまっている。

真木悠介が『時間の比較社会学』の中でふれているように、
「時間を費やす、時間をかせぐ、
 時間をむだにする、時間を浪費する、
 時間を節約する等々といった時間の動詞自体が……
 時間と貨幣とのこのような同致をすでに物語っている」。

「時は金なり」が資本主義の精神である以上、
貨幣を時間に置き換えたところで何ら目新しいことはない。

設定のなかで面白い展開を期待できたとすれば、
「貨幣によって永遠の命を手に入れられる」
という部分しかなかった。
しかしこの映画ではそこを深堀りしなかった。

現実の社会では、どんなに格差社会になろうとも、
「避けることのできない死に向かって生きている」
という意味において、全ての人は平等である。

しかし、その究極の平等を担保する「死」を失ったとき、
人間はいったいどのようなものになるのか。
僕の興味はその一点にあったのである。

しかしこの作品も商業映画である以上、
当然「締め切り」という時間に追われて
制作されたのだろう。
しかし「締め切り」というものがなければ、
そもそも作品そのものが生まれることもない。

死がなくなったとき、生は本当に存在しうるのか。
今度はぜひそういうテーマで「時間」を描いてほしい。
それなら「TIME2」みにいくかも。