BGM化する世界へ | 杉原学の哲学ブログ「独唱しながら読書しろ!」
大阪で、音楽をやっている友達と会った。

そのとき話題になったのが、
今と昔の音楽の聴き方の変化について。

10代の頃なんかは、CDを買ったら
ワクワクしてデッキに入れて、
その前で歌詞カードを見たりしながら
すごく集中して音楽を聴いたものだ。

つまり、
「音楽を聴くためだけ」の時間があった。
そのとき僕らは、音楽を聴くためだけに、
音楽を聴いていたのである。

でも今では常に、
「何かをしながら」聴くようになっている。

通勤、ランニング、勉強、家事…。
何かの「お供」として音楽がある。

音楽だけを聴いていると、なんだか
手持ちぶさたな気分にさえなってしまう。

僕らにとって、
「全ての音楽はBGM化している」
と言えるのかもしれない。

それは僕らが、
そういう歳になったからなのか、
心の余裕がなくなったからなのか、
音楽に求めるものが変化したのか、
よくわからない。

でも、音楽を聴くために音楽を聴くからこそ、
気づくことや感じることっていうのは、
絶対にあるような気がするのである。

CDの売り上げが減り続ける中で、
ライブが好調を維持しているのは、
誰もが無意識のうちに
「音楽を聴くためだけの時間」を
求めているからなのかもしれない。

それは、人と人との
コミュニケーションについても
きっと同じだ。

忙しいときにはついつい
「ながらコミュニケーション」
をしがちだが、されているほうは
少しさびしい気持ちになったりする。

そのとき、僕たちの存在自体が
「BGM化」されてしまっているのかもしれない。

ほんとうはみんな、
もっといろんなものを大切にしたいし、
大切にされたいのではないだろうか。

…というようなことを
新幹線で移動しながら書いている、
1月4日火曜日の朝でした。

窓の外は、一面の雪景色である。