あいかわらずがあいかわらずのうちに | 杉原学の哲学ブログ「独唱しながら読書しろ!」
今年は修士論文の執筆がままならないため、
東京で正月を迎える予定だった。

別に大阪で書いたってかまわないのだが、
手元に資料がないとなると
なかなか安心できないのである。

修士論文の執筆なんて、
一生に一度の機会かもしれない。
できれば悔いは残したくないものである。

しかし、きのうの夜あたりから、
なんとなく大阪に帰りたくなりだした。

それは、論文の「資料ナシでできる作業」が
たくさんあることに気づいたせいかもしれない。

そういや東京で暮らすようになってから
かれこれ8年が経つのだが、
正月を大阪で過ごさなかったことは
いままでに一度もないのである。
そのことは、大阪の友達にもメールで指摘された。

毎年初詣でお願いを聞いてもらってる神様にも
一年のお礼を言っとかなあかんなぁとか。

家族と会う回数って実は限られてるぞ、とか。

この程度のことで正月帰らんとなると
この先が思いやられるぞ、とか。

まぁ要するに、帰りたい気持ちになると、
帰るための理由がいくらでも
思い浮かんでくるわけである。

僕が行動するときの理屈なんて、
結局ほとんど後づけやなぁ、
と思い知った次第である。

ニュースでは、30日の今日が
帰省のピークとのことだったが、
新幹線のチケットがインターネットで
あっさりとれてしまった。

というわけで、
いま新幹線の中でこれを書いている。

大阪に帰ったら、
親父の大好きなカニ鍋と、
オカンのあいかわらずのボケが
待っていることだろう。

あいかわらずがあいかわらずのうちに、
あいかわらずの正月を満喫しておこう。