代々木公園は、もうすっかり秋の色である。
都市に住んでいると、
季節“イベント”はにぎやかだが、
自然とともに移ろいゆく季節を感じる機会は
どうしても少なくならざるをえない。
その点、代々木公園は季節によって
いろんな表情を見せてくれるので、
毎日歩いていても飽きることがないのである。
その表情の変化は、季節によるものだけに限らない。
朝はすがすがしい世界を見せてくれるが、
夜はやっぱりなんとなく不気味な感じがする。
ただボーッと歩いているときは
まるで絵画のような景色にも見えるし、
ランニングしているときには、
なんだか応援してくれてるような気分にもなる。
こちら側の変化によっても、
代々木公園は違う表情を見せるのである。
もちろんそれは代々木公園に限ったことではない。
僕たちが生きているこの世界
そのものについても同じことが言える。
太陽とともに目覚めて、
日没とともに眠りにつく人にとっては、
この世は光にあふれて見えるかもしれない。
夜型生活を送っている人にとっては、
世界そのものはだいたい闇に包まれていて、
照明の明かりがその人にとっての太陽かもしれない。
機嫌のいい人にとっては、
この世界はきっとゴキゲンなんだろうし、
いつも機嫌の悪い人にとっては、
世界とはいつも悪意に満ちたものなのかもしれない。
それはほとんど、
別の世界を生きていると言ってもいいだろう。
太陽が頭上に輝いている世界と、
月が夜空に浮かんでいる世界とでは、
身体も、精神も、違うものを感じているはずである。
人間関係においてはさらにそうである。
その人がどのような人間関係の中で生きているのかは、
その人がどのような世界で生きているのかと、
ほとんどイコールと言ってかまわないだろう。
そして人間は、その世界の中に
適応するかたちで変化していく。
だとすれば、互いのことを見つめ合うよりも、
互いが生きている「世界」に目を向けたほうが、
より相手のことを理解できるのではないだろうか。