柳田国男全集〈13〉 | 杉原学の哲学ブログ「独唱しながら読書しろ!」
柳田国男全集〈13〉 (ちくま文庫)/柳田 国男

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民俗学の大家、柳田国男の全集。
ひとまず「先祖の話」だけ読んだ。

昔から日本に伝わる風習が忘れられ、
または姿を変えていったのは、
今にはじまったことじゃないんだ
ということがよくわかった。

しかも、こうやって資料として
残してくれる人がいないと、
過去の記憶は跡形もなく失われてしまう。

日本の長い歴史を今後に活かしていくためにも、
昔たしかにあった日本の記憶を、
もう一度見直してみることは本当に大事だと思う。

以下、引用メモです。
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今ならば早く立派な人になれとでもいう代りに、
精出して学問をして御先祖になりなさいと、
少しも不吉な感じはなしに、
言って聴かせたものであった。(p19)

土地さえ残しておけばというのが、
上下を通じての古くからの常識であって、
しかも今日もまだ根強く伝わっている。(p28)

あらゆる生物は、ただその養分の備わらぬ処に
残した種は育たぬというだけなのに反し、
人のみはこれを意識しまた計画して、
始めからこれを分家の欠くべからざる
条件としていたのである。
そうしてその条件の第一として算えられたものが、
物を生産する土地であり、
最初はほとんとこれただ一つであった(p32)

中世の名称で諸道とも職人ともいったもの、
すなわち耕作以外の勤労によって、
交換をもって衣食の料を得ていた人々には、
術芸もしくは業務そのものに対する態度、
これを社会に役立たせる方式等に、
家督の中心を置くものが多く、
従って口伝・家伝という特殊の教育法があった。
つまりはこれが土地のような眼に見える
財産の代りをなしたので、
元手すなわち資本というものに
そう大きな力をもたせなかった頃の商売なども、
同じ系列に算えられていたのである。(p36)

祭をする人々が行いを慎しみ、
穢れた忌わしいものに触れず、
心を静かに和やかにしているのが祝いであり、
その慎しみが完全に守られているのが、
人にめでたいと言われる状態でもあった。(p42)

もとは正月も盆と同じように、
家へ先祖の霊の戻って来る
嬉しい再会の日であった。(p43)

我々日本人の一昼夜は、
もとは夜昼という順序になっていて、
朝の日の出に始まるのではなく、
真夜中の零時を起点とするのではなおさらなく、
今いう前日の日没時、いわゆる夕日の
くだちをもって境としていた(p45)

正月早々から一家の主人が家を留守にする
ということはあり得ないことである。(p48)

以前の日本人の先祖に対する考え方は、
幸いにしてそういう差別待遇はせずに、
人は亡くなってある年限を過ぎると、
それから後は御先祖さま、
またはみたま様という一つの尊い霊体に、
融け込んでしまうものとしていたようである。(p65)

明治以降の太陽暦でも経験したように、
暦の改定は人心を一新する。(p68)

祖先の個性ともいうべきものを、
いつまでも持続して行く点が、
すこぶる私の言おうとする祖霊の
融合単一化という思想とは、両立しがたい(p108)

人が亡くなって通例は三十三年、
稀には四十九年五十年の忌辰に、
とぶらい上げまたは問いきりと称して
最終の法事を営む。その日をもって人は
先祖になるというのである。(p132)

永い世に名を残すということが、
一方には無名の幾億という同胞の霊を、
深い埋没の底に置く結果になっている
ことだけは考えてみなければならない。
元からそうであったということは
言われぬのである。(p149)

御先祖になるという言葉には、
二つのややちがった意味があると言っておいたが、
煎じ詰めてみれば二つとも、盆にこうして還って来て、
ゆっくりと遊んで行く家を持つように、
という意味であることは同じであった。(p158)

判りきった事だが信仰は理論でない。
そうしてまた過去はこうだったという物語でもなく、
自分にはこうしか考えられぬという
御披露とも別なものである。(p160)

ここに四つほど特に日本的なもの、
少なくとも我々の間において、
やや著しく現れているらしいものを列記すると、
第一には死してもこの国の中に、
霊は留まって遠くへは行かぬと思ったこと、
第二には顕幽二界の交通が繁く、
単に春秋の定期の祭だけでなしに、
いずれか一方のみの心ざしによって、
招き招かるるごとがさまで困難でないように
思っていたこと、第三には生人の今わの時の記念が、
死後には必ず達成するものと思っていたことで、
これによって子孫のためにいろいろの計画を立てたのみか、
さらにふたたび三たび生まれ代って、
同じ事業を続けられるのののごとく、
思った者の多かったというのが第四である。(p166)

霊山の崇拝は、日本では仏教の渡来よりも古い。
仏教はむしろこの固有の信仰を、
宣伝の上に利用したかと思われる。(p170)

六道輪廻、前生の功過によって鬼にも畜生にも、
堕ちて行くという思想は日本にはなく、
支那があるいは輸入国ではなかったかとも見られる。(p198)


満足度
★★★★☆