偏差値30台からの和歌山大学 | 塾 岩出・紀の川で学習塾・進学塾をお探しのあなたへ

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■2023年度合格実績■
桐蔭5名向陽2名開智7名信愛3名那賀7名粉河5名北1名笠田1名市和1名羽衣1名近泉1名初橋8名浪商1名和高専1名
和歌山大1名立命館大1名関西大1名関西外大1名宝塚医療1名和県看1名野上1名
和大附中1名近大和中2名奈良智辯1名



「スーさん、『まいなあが』に書いてたけど
僕も和歌山大学いきたいんやけど
行けるかなあ?」



生徒面談でこう聞いてきたのは
那賀高校の野球部の男の子です。




実は4月の「まいなあが」のインタビュー記事は
過去最高の反響をいただい
たものです。






先日、その企画を担当してくださった
編集の方もとっても驚いていたのです。


色々とデータをとり、
分析も行いました。




「もちろん、がんばればな!
ちなみに、そのインタビューでしゃべった
子は、この先生やで」






まなびや生であり、今は
非常勤講師で力を貸してくれている
先生を見て、

「ええ!?そうなんですか!」
とその野球少年は驚きます。






その子がまなびやに
通うようになったのは、
小学校5年生の春でした。



お姉ちゃんからまなびやに
通ってくれていました。



とっても優秀なお姉ちゃん。
その学年で、1番長く
まなびやにいて
勉強していたのも
彼女でした。



成績のトップクラスで、
進学校に進み、
関西からでは珍しい
いわゆるMARCHの一つ
中央大学に進みます。

そんなできる姉をもつ
ちょっと勉強の苦手な弟。

小学生の最初の学力テストは
本当に偏差値30台でした。





今は元気なのですが、当時
持病のため大好きなサッカーも
できなくなります。


そんな生徒に
私は自分を重ねていたのかもしれませんね。



さらに、追い打ちをかけるように
世の中は緊急事態宣言などで
あらゆる学校行事などが
奪われていきました。




ただ、私は彼には
あまり慰めの言葉はかけませんでした。


むしろ、厳しかったかもしれません。




「ええか、世の中は理不尽だらけや。
いや、
理不尽なのが人生やね。

こうして、自分ではどうしようもない
ことばかりが降るかかってくる。」

「でもな、ええか
ここから2種類の人間に分かれていくねんな。

いっつも自分ばっかり不幸や。
先生が、親が、学校が、
コーチが、
友達が、勤務先が、上司が、と
自分以外ばかりを責めるタイプと、

よーし、こいつをどうにか
乗りこえてやる、
自分にできることをやるしかない、
何ができる?と
自分で今、できることに
目を向けて行動するタイプや」



「Sくんは、どっちの人間になりたい?」



「やっぱり、自分でできることを
がんばりたいかな」



「そうか、ほなら、やるしかないな」



なかなか、成績が思うように
上がらなかったときも
ありました。



お父さん、お母さんもずいぶん
ご心配だったことと推察します。

ところが、いつもおっしゃる言葉は




「スーさんにお任せします」



「スーさん、よろしく」

でした。





けっして、器用で
なんでもさらっとこなすタイプ
ではないSくんでしたし、

反抗期、
うまくいかない状況、環境、自分に
くさっているときもありました。



ただ、最後まで愚直に、素直に
真面目にがんばるという個性もありました。






時間をかけて育んだ芽は
ようやく花を開きます。


学力もグングン伸び、
最終は目標を超えて、
向陽高校もいけるじゃん
という所まできます。






それでも、地元の目指していた高校へと、
那賀高校を選び、進学します。

もちろん高校に入ってからも
勉強をがんばります。

私以外にも、何人もの
まなびやの先生が
彼を応援してくれます。

そして、この春、ついに
和歌山大学教育学部の合格を手にします。


那賀高校からは、
わずか4人中の1人
だったそうです。


自分のように勉強が苦手でも、
人との出会いによって変わり、
がんばれるようになった。


今度は自分がその役目をはたしたい。
そんな先生になりたいと言っています。


なぜ、そう思うようになったのか?

なんと、私に影響を受けて
なのでそうです。

嬉しいですね。

 

もう、すこし自信なさげに、
下を向いていたあの少年はもういません。

むしろ、そうやって自信のない子たちに

「いけるって!
がんばろうぜ!」と
元気に背中を押してくれています。


そして、次の那賀高生たちも
和歌山大学に向かって
がんばっていきます。



写真のはがきは、彼が
緊急事態宣言下で、
お世話になっている人に
感謝のはがきを書こう!といって
実施していたときのものです。