生まれた日の出来事 | 学びスタジオ®︎ブログ〜教育あれこれ

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小さな個人塾を経営しています。「一緒に学ぶと、可能性が広がる」と考えています。教えるより、考えるように導きます。子どもと一緒に考えると、子どもが能動的に考えるようになります。そして、一緒に考える楽しさと、一人で考え抜く力を身につけていきます。



こんにちは、学びスタジオの奥川えつひろです。


私の無二の親友が、今年、70歳の古希を迎えました。


私と12年と1日ちがいです。

同じ卯年で、誕生日も1日違いで、

不思議な縁なんです。


そんな友人に、

生まれた日の新聞の記事をプレゼントしようと思っています。

その新聞の記事について書きます。


❤︎1951124日の新聞



第二次世界大戦終戦から6年です。


新聞の記事には、

マッカーサーの写真、ダレスの名前があります。


❤︎講和条約"仲直り条約"


ダレスは、

サンフランシスコ講和条約で取りまとめ役を果たし、

同時に日米安全保障条約の締結を導いた人で、

日米安保の"生みの親"と言われています。


そのために、来日する記事です。


❤︎ダレスの言葉


実際の条約締結は、98日です。

条約締結後のダレスの言葉です。


「他のアメリカ人と同様、占領によって改革されたとは言え、約67年前まで熾烈な戦争をした相手の日本人を信頼できるか疑っていた。


アメリカと交渉する裏で、共産主義国だが同じ黄色人種でアジア人の中華人民共和国と通じているのではないかと疑っていた。


他のアジア人の国々に対して日本人がしばしば持っていた優越感と、「エリート・アングロサクソン・クラブ」のアメリカやイギリスなどの共産主義国に対抗している西側陣営に入るという憧れを満たすことを利用して、西側陣営に対する忠誠心を繋ぎ止めさせるべきだ。


日本を再軍備させ、自分たち西側陣営に組み入れるということと、一方、日本人を信頼し切れないというジレンマを日米安全保障同盟、それは永続的に軍事的に日本をアメリカに従属させるというものを構築することで解決した。」


その後の日本の方向性を決める言葉ですね。


❤︎アメリカ製の工作機械から刺激



機械の技術も、まだまだ未熟で、

試作自体がやっと終わったという記事が載っています。


1951年は、まだまだ、アメリカの機械の安く性能がよく、


1954年から始まる高度成長の準備期だったんですね。


❤︎家族の生まれた時の出来事


1951124日は、そんな記事が載っていました。


本日、この古稀のお祝いの新聞を

新聞好きの友人に渡そうと思います。


家族全員の生まれた時の出来事、

10歳ごと節目の日の出来事……

を調べてみることも

面白いのではないでしょうか。


いろいろな思い出が蘇るかもしれませんね!