今までの様々な個人投資家の戦いのことを思っていると、この二つの言葉が思い浮かんだので、長雨の中、部屋にこもりながら、書いて読んでみました。(自分でしみじみ思うため)
まずは松尾芭蕉さんの東北の旅での俳句と日記から・・。
夏草や兵どもが夢の跡(なつくさや つわものどもが ゆめのあと)
「三代の栄耀(えいよう)一睡の中にして、大門の跡は一里こなたにあり。
秀衡(奥州藤原氏の藤原秀衡のこと)の跡は田野になりて、金鶏山のみ形を残す。
先の高館にのぼれば、北上川南部より流れる大河なり。
衣川は、和泉の城をめぐりて、高館の下にて大河に落入す。
泰衡等の旧跡は、衣が関を隔て、南部口をさし堅め、夷(えぞ)をふせぐとみえたり。
偖(さて)も義臣すぐつて此城にこもり、功名一時の叢(くさむら)となる。
国破れて山河あり、城春にして草青みたりと、笠、打敷(うちしき)て、時のうつるまで、泪を落し侍りぬ。・・」(少し読みやすいように変えてあります)
一将功なりて万骨枯る(いっしょう こうなりて ばんこつ かる)
(一人の将軍が功績をたてる裏では、戦場で多くの兵士が犠牲になり、屍(しかばね)をさらしている。 陰にあって働く多くの名もない人たちを忘れて功名が一部の指導者、英雄だけのものとなっている・・そのことを怒っての言葉)
ごく一部の成功者の方々の背後で万骨が枯れていると思いながら・・。(成功者の方々には失礼か・・ひぇ~すみません~・・ひれ伏している様子)
大勢いたんだよね・・知らないうちに静かに退場していった人たちが・・。(これからも増えるんだろうねぇ、と雨を見ながらしみじみと思う・・)