私と旦那と犬と犬、そして姫と☆ -487ページ目

父さん、また食事止められる(涙)

ご飯を出してもらえるようになったばかりなのに、また食事が止められちゃいましたしょぼん



土曜日

朝の食事は、前日と同様なおかゆの朝食を出してもらったのですが、

午前中の検温の時、熱がある事が発覚し、お昼からまた食事がなくなりましたダウン


誤飲でまた肺炎の可能性があるから、検査結果が出るまでは、再度鼻のチューブからの流動食になりました。


今日は一般撮影(レントゲン?)をしてもらい、

明日はCT撮影があるようです。


この検査結果が出るまではまたおあずけだねしょぼん






良くなったり、悪くなったり、

どれだけ繰り返せば良くなるのだろうはてなマーク






本人も、また食事を取り上げられたので、超落ち込んでいるようですダウン


先生達も、入れ替わり立ち代り病室を訪れ、『調子はどうですかはてなマーク』と声を掛けてくれているようですが・・・


父さんもいい加減我慢が出来なくなったのか、先生に



『もう1ヵ月もなるで、頼むでどうにかしてくれんか・・・』



と訴えたそうです。



ほんとそうだよね。


検査結果、なんともない事を祈ります。


これでまた肺炎とかなったら、父さん落ち込みまくりだよしょぼん




父に1ヵ月ぶりに食事が出ました!!

今日のお昼から、父さんにご飯が出されました!!


メニューは、

ズルズルのおかゆに、

離乳食みたいなお芋のペースト状態のおかず、

それに食後のゼリー・・・・だったかな


お粥に、母さんが持参していった練り梅を混ぜて一口食べて、一息おいてから一言




『うんまいなぁ~』




しみじみ言って、涙を流したそうです。

感無量って感じかな。

ここまで長かったもんねしょぼん




さらに続けて、



『今まで何気なく食べとったけど、

こうしてみると、食べ物って美味しいなぁ』



と泣きながら食べたそうです。



それを見て母さんは、



『瘤を破裂する前に見つけて手術してもらったから、こうして今食べていられるんだよ。

皆さんに感謝しないとね。』



といって、一緒に泣いたそうです。




このような少量の食事だけでは十分なカロリーを摂取することが出来ないので、まだまだ流動食と併用なので、鼻から入っている食道のチューブは抜けてないけど、遅くても週明けにはチューブも取れることでしょうニコニコ



液体はまだまだ許可が出ていないので、お水はまだ飲めない状態ですが、

時期にお水も許可が出ることでしょう。





そうそう。


母さんが持参していった練り梅、実は、本家の伯父さんが作ってくれたものなんです。


本家の伯父さんは、顔も怖けりゃ口も悪くて、親戚の中でも怖い人で通ってる人なんですが、

実はとっても優しい人で、

とっても弟思いの長男さんなんです。


昨日、母さんが父さんの容態の報告に行った時、


『明日からご飯が出るんです。先生が、梅干を潰したものとかなら食べてもいいよって言うから、明日用意していこうかと思ってます。』


と言うと、

普段、亭主関白で座ったら全く動かない人らしいのに、



『そこらのスーパーに売っとる梅干なんて美味ないで、家に取り寄せた美味い梅干があるで、それで今から作ったるで、それをヒロシに食わせたれ!!』



と言って、自らすり鉢と梅干を用意して、練り梅を作ってくれたそうなのだ。



※ヒロシ=父さんの事



練り梅だけでなく、

粒のものも食べていいと許可が出たら、これも食わせたれ・・・・と言って、粒のままの梅干も持たせてくれたそうです。



母さんが、


『兄様は、本当に父さんの事が可愛くてしかたないんだね。』


と言った。





これこそ兄弟愛だね。


ご飯を食べる前に、『この梅干は兄様が持っていくようにと用意してくれたんだよ。』と父さんにこの話をしたら、



『有難ぇなぁ・・・』



と涙だったそうです。





手術してからの父さんは、とても涙もろい人になりました。


父さんの涙なんて、親しい人が亡くなった時しか見たことが無かったのに・・・


今の状況もあるだろうけど、それだけじゃない気がする。





一つ食べれると、また次・・・・って感じで、

アイスクリームが食べられたね。

ご飯が食べられたね。

・・・ときているので、次はお水が飲めるようになるといいな~って思う。


またお水がもらえるようになったら、涙しながら飲むんだろうねニコニコ



来週からはしっかりご飯も出してもらえるようだし、回復も早まるかな得意げ

っていうか、

そうなって欲しいな~って思ってます!!




父さん、ついにアイス食べました!!

入院してからもう1ヵ月が経ちました。


早いものですね・・・

この前手術したばかりだと思っていたけど、こうして振り返ってみるとあっという間だったな~って。


本人や母さんにとっては、なが~い1ヵ月だと思いますがダウン


連休も終わり、



ついに今日、

父さんが待望のアイスクリームを食べました!!



ついに!!です。



食べたといっても、リハビリで食べただけなので、一カップ全部を食べさせてもらった訳じゃなく、ほんの少しだけ食べただけなんだけど、

1ヵ月ぶりに口から物を食べた父さんは、



『うめぇーーーっ!!』



と大喜びだったそうですにひひ




先生に、『ご飯は食べたいですかはてなマーク食べたいと思いますかはてなマーク』と質問され、父さんは迷わず、



『食べたいですっ!!!』



と答えたそうで、

そしたら先生が、


『では明日から少量ですが、ご飯出しましょうか~』


と言ってくれたそうです!!


ついに父さんに明日、食事が出されることになりました!!

その様子をみて、流動食のチューブも抜いてもらえるかもしれないと母さんが教えてくれました。



長いことご飯はチューブで取る流動食だったからね・・・

父さんもここまで回復したんだなぁーってしょぼん本当に嬉しい・・・・



手足もかなり細くなってしまった父さんですが、

口から食事を取るようになり、リハビリもやるようになれば、元通りにもどるかなはてなマーク


本人も、


『俺、歩けるようになるんだろうか・・・』


と心配そうダウン


でも、他の入院患者さんもリハビリなどして、徐々に良くなって退院していくんだから、

きっと父さんもみんなみたいに歩けるようになって退院する日がくるんだよね・・・


早くそんな日が来るように、父さんにはもう少し頑張ってもらわねば!!




肺炎の原因は病院側に??

今日も母さんから父さんの様子の報告電話があった。



アタシ達が行った翌日から熱が下がり、ちょっとづつ体調が安定してきている。






今日は口腔外科の先生の診察があったそうです。


上手にゴックン出来ないから、咽の状態を見てもらったんだって。





まずは


氷を口にふくみ、口の中で融け出したお水をゴックンして、先生が聴診器でそのゴックンの音を確認する。

結果、片方のゴックンの音があまり良くないという事だった。


原因は、

手術する際(弓部大動脈瘤)、その近辺にある咽(?)の神経を少し触ったんだろう・・・という事だった。


でも、先生いわく

『この部分の手術をした患者さんは、術後こうなる事が多いのですが、ゴックンの練習をすれば元に戻りますよ。』


診察は、氷だけでなく、ゼリーでもやったようですが、

『水と違って、ゼリーは上手に飲み込めてますね~』という事だった。





肺炎の事を話すと、

食事する時の姿勢の話になったそうで・・・


ベッドをきちんと起こして体もおこしている状態でも、まだきちんと座れない父さんは、頭だけはベッドにもたれてる状態になっており、

ようは、

首の位置が、人工呼吸する時の気道確保!!みたいな状態になっていて、

食道がふさがって、気道全開みたいな格好で食べさせられたので、食べ物が食道に入っていかず気道に入った為に肺炎を起こしたのだろう・・・


という口腔外科の先生のお話だった。



って事はさ・・・・

病院側の落ち度なんじゃないのはてなマーク



先生も、


『食事を出す時期がちょっと早すぎたんだろうね。でも、今度はみんな慎重になりすぎるくらい慎重になってるから大丈夫でしょう。』


と言ったらしい。



いやいやパー

最初から慎重にやってもらわなきゃ困りますからガーン




ちなみに、

食事はしばらくリハビリしてからじゃないと出してもらえないようですダウン


先生も、


『早く口から食べる食事を出してあげたいのは山々だけど、連休明けまでは出せないね』


との事でした。

連休がなかったら、もうちょっと早くだしてもらえたかなぁはてなマーク




ゴックンのリハビリは、30日にあるそうです。



母さんが先生に、



『もう何日も前から、アイスクリームが食べたい食べたいって何度も言うんですけど・・・・』



と言ったら、



『では、リハビリにアイスクリームを使いましょう☆』



と言ってくれたそうですグッド!


これには、父さんも大喜びしたそうです★(pq・c_,・。)アハハ~

30日は、父さん念願のアイスクリームが食べれるんだって!!

良かったね~父さん!!




*♥*:;;;;;:*♥*♥*:;;;;;:*♥ *♥*:;;;;;:*♥*♥*:;;;;;:*♥*♥*:;;;;;:*♥*♥*:;;;;;:*♥ *♥*:;;;;;:*♥*♥*:;;;;;:*♥




話は前後しますが・・・





術後調子が悪く、病室でずっと寝込んでいた父さん。


今日、

一階下の口腔外科へ行くために、術後初めて病室から出ました。




数日前、ベッドに腰掛ける練習では、頭がふらついて一人では座れる状態じゃなく、本人も


『ふらついて気分が悪いで寝かせてくれ』


という状態でした。

今日も車椅子に乗せられる時、


『ふらつくで怖い』


と言ったそうです。

でも、看護婦さんに助けてもらい上手に車椅子に乗ることが出来たようです。


ベッドに座る事すらままならない状態に本人はショックを受けていたのですが、

今日、車椅子にふらつく事もなくちゃんと座れた事に本人もちょっとビックリしたようで、母さんに


『俺、ちゃんと座っとるかはてなマーク


と聞いてきたそうだ。

母さんが、


『フラフラもしてないし、しっかり座ってるよ』


と言ってあげると、とっても嬉しそうな顔をしたそうです。


座ることすら出来ず、

何に対しても自信をなくし、

もうダメだと思っていた父さんにとって、

車椅子にしっかり座っていられた事が、【まだ大丈夫だ】【出来るんだ】という自信につながったようです。




病室を出て廊下を進むと、父さんがキョロキョロと辺りを見回した。


看護婦さんが、


『○○さん、久しぶりでしょ~。ずっと病室だったから気分が違うでしょ~』


と声をかけると、

嬉しそうに、



『おぉー、ずっと病室だったでな。

久しぶりだなぁ・・・・・』



と、まわりを見渡したのだとか。



病室は廊下側で、

カーテンで囲まれて、ずっと天井を眺めていた父さん。

術後初めて見た病院内の様子と、窓から見えた外の景色が何より新鮮で嬉しかったんでしょうね。


病室で寝ていた時の顔とはまるで別人のように、目が輝いていたと母さんが教えてくれた。




こうしてちょっとづつ前に進むことが出来て、

念願だったアイスクリームも明後日食べれるし、

次逢いに行く時は、この前とは違う父さんに逢えるかもしれないね。



行ってきましたー★

昨日、名古屋まで車で旦那ちゃんに連れて行って貰いました~ニコニコ

昨日はこんな感じで一日動きました~右矢印




朝7時過ぎに自宅を出て、出発!!


13時頃、愛知の実家へ母さんを迎えに行き、三人でお昼ご飯を食べる。


14時頃、病院へ到着。


★★3時間ほど病院で過ごす★★


17時過ぎに病院を出る。


18時頃、三人で晩ごはんを食べる。


19時頃、本家(父さんの実家)へ伺い、伯父さん&伯母さんに父の様子を報告。

(玄関先で話すだけのつもりが、強引に上がらさせられるガーン


20時前に、実家へ母さんを送り届ける。


20時過ぎに高速へ乗り、愛知を出発。



途中、旦那ちゃんが睡魔に襲われ、浜名湖で1時間の仮眠を取る。

途中、御殿場辺りでもの凄い霧に襲われ、前が全然見えない状態で走行する叫び



深夜2時、無事自宅到着・・・・・




ハードスケジュールだったぁ・・・・・




アタシは仮眠は取らなかったけど、帰り富士あたりでもの凄い眠くなって汗

旦那ちゃんの話だと、20分くらいコックリコックリしていたらしい・・・

そりゃ眠くもなるよね~



だって、アタシ



前日の金曜日はバイトだったでしょ。

仕事から帰って犬の散歩して、

晩ごはんの支度して、

食後洗い物して、

母さんと約束した手作りパンを作って、

その後、

深夜1時に帰宅した旦那ちゃんに晩ごはんを食べさせて、

焼き上がったパンを持って行ける様に準備して、

長旅に備えて、犬の物やら、着ていく服などの準備をして、


結局寝たのは深夜2時30分頃


ベッドに入ったものの・・・・こういう日に限って、

耳元で聞える、旦那ちゃんの『スーーーーハーーーー』という寝息が耳について眠れなくなるドクロ


それでも何とか無心を心がけ、

なんとか深夜3時過頃眠りにつく・・・


そして・・・・・・


朝5時に起床。


2時間だけの睡眠・・・・・

(ちなみに旦那ちゃんの睡眠時間は4時間ちょっと程)



仕事があった日に睡眠2時間で長旅って・・・・・

そりゃ眠くもなるよね(笑)




お陰で、今日は寝不足&疲労からか・・・・

もの凄い頭痛と、

以前もあったけど、視界がチカチカして周りが見えにくいとか、ちょっとふらついたり・・・

鎮痛剤を飲んで、午後からずっと寝ていました。


旦那ちゃんは今日もお仕事だから大変だろうな・・・・・・

昨日はずっと運転しっぱなしだったからね。

本当に感謝です!!





旦那ちゃんが頑張って連れて行ってくれたお陰で、父さんもとっても喜んでくれました!!




父さんの状態ですが、


肺炎はほぼ治ってきてるけど、

夜になると38度くらいの熱が出て、昼間でも37度くらい熱があるらしく・・・


昨日も、病室へ行くと看護婦さんがすぐに来てくれて、


『今日も37度くらい熱がありますので、本人もちょっとしんどいみたいです』


と教えに来てくれました。




意識はあるけど、

普通に・・・・・っていう程の会話という会話は出来る状態ではなく、

短い言葉のやり取り的な、ちょっとした受け答え程度の会話が出来るだけの状態でした。




手術から2週間、ずっと寝た状態。

本当なら、2週間で退院だったはずなのだ。

現に、

父さんと数日違いで手術した同室の患者さんは、もう週明けに退院するそうだ。


2週間で退院できると思っていた父さんは、

現実では2週間たってもこういう状態なので、かなり参っているようで、



『もうダメなんだろうか』

『意欲が出んでいかんわ・・・』

『なんで俺だけこういう状態なんだろうか』

『なんでこうも熱が上がったり下がったりするんだろうか・・・』

『体を起こすとフラついて座っておれんで、もう立つことも出来んわ・・・』



という言葉を口に出し、かなり弱気になっているようだった。



大好きなアイスクリームがどうしても食べたいようだけど、

まだ飲み込みの練習が出来ておらず、上手にゴックンできないので、まだお水もアイスクリームも禁止なんだとか・・・


ぼぉぉぉーーーーっと天井を眺めて、


『体がだりぃ・・・・・(だるい)』

『胸がいてぇ・・・・・(痛い)』


と口癖のように言っていた。



3時間居た間に、何度『アイスクリーム買ってきてくれ』と言ったことだろうか。

見ていて可哀想だった。



腕には点滴をして、

酸素のチューブを鼻に入れて、

栄養(流動食)のチューブも鼻に入れて、

胸には心拍を計ったりするものなのか、何色かの線が取り付けられていた。





行ってすぐ、父さんが旦那ちゃんに


『遠いところ、悪かったなぁ・・・・・・』

『心配かけてすまんかったなぁ・・・・』


といって、涙を流した。




丁度そこに看護婦さんが点滴を交換しに来て、


『○○さん良かったね~^^

今朝も、娘が来るんだわ~って言ってたんだよね~』


と声をかけてくれた。


父さん、看護婦さんに話すくらい楽しみにしてくれていたんだね。



看護婦さんが、


『神奈川からだと遠いから大変ですよね~

○○さん、遠くなのにこうして来てくれるから嬉しいですよね~』


と言った。


母さんが、『どうして神奈川って知ってるの?』的なことを聞くと、



『手術の翌日に声かけてもらった時、神奈川って聞いたんですよね~』


とニコッとしてきた。





そうだった。


手術の翌日の夜

病院を後にする時、ナースステーションに居た看護婦さんに、



『昨日手術して今ICUに入っている○○の娘です。

数日後、ICUから出てこちらの病室でお世話になると思うので、また宜しくお願いします。

私は神奈川から来てるので、なかなか来る事が出来ないので、主に母が通うと思いますが、母も来れない日があって、完全にお任せする日もあると思いますので・・・どうぞ父の事、宜しくお願いします。』



と頭を下げてから帰ってきたのだった。


その時に声をかけた看護婦さんの中の一人で、アタシの事を覚えていてくれていたのだとか。






それにしても、まさかこんなに長く入院するとは思ってもみなかったね。


多分、この状態だとまだまだ入院していると思う。

退院は・・・・・いつになる事やら・・・・・


とにかく、熱が下がることが一番だね。

そして、自分の口で物が食べれるようになれば、気力も出ることでしょう。

あとは、座ることが出来るようにリハビリをして、車椅子に乗れるようになる事かな・・・


車椅子に座っていられるようになれば、病室から出て休憩室にも行けるようになるし・・・・


出来る事が出てくれば、父さんも元気になるだろうに。






母さんと旦那ちゃんが席を外した時、父さんが


『陽子・・・・心配かけてすまんかったなぁ・・・・』


と言って、顔をクシャッとさせて泣いた。


アタシは、


『そんな事はいいの。

まだまだ長生きしてもらいたいで、

そんなに弱気にならず、前向きに頑張るんだよ!!

手術は成功したんだから、感謝してやる気出さないとね!!』


と言うと、



『そうか・・・成功だったか・・・・』



と言うので、



『成功だよ。

成功してなかったら、今頃こうして目開けて話なんてしとれんかったよ。



と言ってやった。

父さんは、



『そうか・・・・』



と言って天井をじーっと見た。






そうなんだよね。

手術が成功してなかったら、こうして目を開けて話ししてないもんね。



違う病室のおじさんは、手術中に瘤が破裂してしまったそうなのだ・・・・



おばさん(奥さん)は、


『お宅はちゃんと意識もあって喋れるんでしょ?それは成功だわ!!

うちのお父さんは手術の途中で破裂しちゃったから、もうどれだけか経つけど、

いまだに意識が無い状態なんだよ。』


と、母さんに話したのだとか。


そのおじさん、

破裂した上に、脳へ行く血管に血栓も入ってしまったので、脳もダメになってしまったのだとか・・・・


こうしてみると、

助かった父さんは、本当に運が良かったんだろうな・・・って思う。


折角助かったんだから、頑張って元気になって欲しい!!




肺炎

昨日、ちょっと早いけど母の日のプレゼントを買いに行ってきましたアップ


いつもは宅配で送るんだけど、今週の土曜日にまた逢うので、折角だから手渡ししちゃおうと思ってねニコニコ

今年は洋服にしました~ワンピース

旦那ちゃんも一緒に選んでくれて、母さんに似合いそうって思うものが買えましたニコニコ


ちなみに、兵庫の実家のお母さんにはバッグをチョイスカバン

気に入ってもらえるといいな~音譜

(兵庫へは、母の日当日着で送りました。)




私と旦那と犬と犬



家に帰ってから母さんに電話した。

最近はこうして電話して、

父さんの様子を聞いて、

同時に母さんの体調もどうか聞いて、

それ以外にもダラダラと女同士でお喋りして、

だいたい20~30分程、こうして親子の会話をするのが日課になっている。


最近は父さんの調子がいいもんだから、母さんも元気な声で電話に出てくれていたのに、

昨日の母さんはちょっと元気が無かった。


『あれ?』って思って、
『元気ないじゃん・・・・もしかして父さんの調子、また悪いのはてなマーク


と聞くと、



『ちょっと肺炎っぽいんだって・・・』



という事だった。


意識はあるけど、38度以上の熱があって、本人もしんどそうだったって事だった。




最近調子がよくって、ちょっとづつ食べ物も出してもらえるようになってたんだけど、

手術してからしばらく咽を使っていなかったので、食べ物を飲み込むのが上手く出来なくって、ちょっとむせたりしたそうなの、

で、

むせた時に、食べ物がわきの方に入っちゃって炎症がおきた。


肺炎の原因はこういう事だった。



点滴などしてもらい処置はしてもらってるけど、とっても辛そうだった・・・・・と母さんもショックを隠しきれていなかった。



肺炎になってしまったなら仕方ない、後は先生にお任せして、早く肺炎が治ることを祈るのみだ。





あーあ

なかなか思うように良くならないね。





ちょっと良くなった!!と喜んでは、ドーンと落とされる。

また良くなったと喜んでは、またドーーーンと落とされる。


その繰り返しばっかだ。




それにしても最近本当に寝不足だ。


寝るときに余計なことを考えるもんだから、本当に眠れない。


気づくと時間だけが過ぎてて、最終的に自分で



無心になれ・・・・

無心・・・・・無心・・・・・



そう言い聞かせて、心をなるべく無にしてやっと眠りにつくって感じ(笑)




お陰で、ここ2週間くらい瞼はピクピクと痙攣するし、

一昨日あたりは、目が乾燥した感じでショボショボすると思っていたら、

昨日は右目にものもらいが出来てたダウン


最悪ガーン


ものもらいは抗菌目薬で小さくなったからいいけど汗



あーあーなんだかなぁー



ペタしてね

その後

父の事ですが・・・


先生の話だと、術後このような状態になったのは前例がないらしく、父さんがこうなった事に先生も戸惑っていたようです・・・・





先日の脳波の検査結果は、前頭葉の機能が少し低下しているという事でした。



CTの検査では異常なし。



意識が混濁していた父ですが、昨日は比較的調子が良かったようで、軽い会話なら普通に出来ていたようです。






前頭葉って何をするところですか・・・・?

と先生に尋ねたら、『まぁ・・・性格とかですね。』と言われたそうだが、性格て・・・・汗


そんなザックリした説明なの???


母さんは頭が真っ白状態な上に病院慣れしていないので、先生の話をそのまま鵜呑みするので精一杯だったようで、落ち着いて考えると???な事だらけ汗


後日先生に質問するらしいです。






昨日は調子良かったみたいだけど、今日は悪いかもしれないし、日々回復していくというより波があるようですね。


母さんは、この通院をするようになってからもの凄く足がむくむといって、毎日むくみ防止の着圧ソックスを穿いて通院しているようです。





そうそうひらめき電球来週の土曜日。


旦那ちゃんが、週末なのに頑張ってお休みを取って来てくれました!!


すげーーーーーーっ!!

旦那ちゃんすげーーーーーーっ!!

週末に休み取れるなんてすげーーーーーーっ!!



『お父さんの容態が心配だからお見舞いに行こう!』


と言ってくれたのだ。


本当に有難い話です。


日帰りな上に、ラルフたちを預けることが出来なかったので、犬も乗せて車で行く事になりました。


ハードスケジュールになる事でしょう汗




あと一週間。


今より回復しててくれるといいなぁビックリマーク


手術3

新幹線は行きも帰りもグリーン席に乗った。


いつもグリーンだけど、今回ほどグリーンに乗ってて良かったと思った事はない。


行きはそこそこ席が埋まっていたのだが、有難いことに行きも帰りも隣は空席で一人でゆったりできた。





帰りの新幹線の中、この数日間の事を思い出していた。





手術当日


手術室の中に向かう父さんの背中を見ながら、




あぁ・・・・いよいよ始まるなぁ・・・・

ここまでは皆が一緒に居てくれたけど、ここからは父さん一人で孤独に闘うのか・・・・


本当に生きて帰ってくるだろうか・・・


今の握手が最後の握手になりませんように!!!




手術室前でギュッと握った父さんの手の感じを思い出しながら、

不安な気持ちや、切ないというか・・・

色んな思いが頭の中をよぎり、手術室の扉が閉まった瞬間、涙が止まらなかった事・・・




手術時間が延びて、予定の17時を回ってからの2時間が異常に長く感じた事・・・




術後の父さんの顔を見た時、


『生きて帰ってきてくれて良かった!!!!本当に有難う!!!!』


と、神様やらご先祖さまに心底感謝した事・・・





最終日


麻酔から目覚めている父さんと感動の再会をはたした時の事・・・




涙で『陽子か・・・』と言ってくれた事・・・




別れ際の辛い気持ち・・・・




別れ際、父さんが力強く手を握って離さなかったこと・・・・






色んな事が頭の中をぐるぐる回って、新幹線の中で静かに一人で涙した。



周辺の席はがら空きだったから助かった。



涙は一度おさまっても、またふと思い出すと涙が出て、もうどうしようもなかった。






新幹線の中から、毎日のように付き合ってくれた伯父さんと伯母さんに、

感謝の気持ちと、

これからもお世話になるだろうから、それについてのお願いと、

何時何分の新幹線で帰りますという報告をした。







新横浜へ到着し、改札を出て外に向かって歩いてると、旦那ちゃんが駆け寄ってきた。


外で待ち合わせっていう話になってたけど、構内まで迎えに来てくれていたのだ。



『お帰り!!お疲れさまだったね。お父さん、本当に良かったね!!!』



そう声をかけて、大きな荷物をサッと持ってくれた。


旦那ちゃんの顔を見るまでは気を張っていたから疲れもそこそこだったけど、旦那ちゃんの顔をみたら急にホッとして一気に疲れが出た。





帰りの車の中では、電話では話しきれなかった細かい話を延々とした。


話しては涙して・・・・の繰り返し(笑)


手術時間の話になった時、



『18時過ぎても手術が終わってないって聞いた時は本気でヤバイのかと思って、マジで犬も乗せて車で名古屋まで走っていこうかと思ったよ!!でも、家を出る前に終わったって電話があったから安心したよ。』



と言ってくれた。


こっちでも心底心配してくれている人がいたんだな・・・って有難かった。




本当に色んな人に感謝です。



手術2

手術翌日


朝からお兄ちゃんに実家まで迎えに来てもらって、母と3人で病院へ向かった。


アタシが第二の両親だと思っている伯父さん&伯母さん(母方の長女。)が同行してくれると言って、病院の入り口で待ち合わせしていてくれた。

ICUの面会時間は11時~12時なので、10時に待ち合わせて喫茶店でお茶を飲んでから行くという事になっていたのだ。


アタシは、この日帰るので大きな荷物を病院へ持ってきていた。

荷物が邪魔なので、伯母さん達には先に喫茶店へ入っていてもらい、自分は父の病室(一般)へ荷物を置かせてもらいに行った。


父さんの様子がどうしても気になり、面会時間まで待てず、一人ICUの入り口に向かった。


まだ面会時間前なので、中には入れさせてもらえないのだが、様子だけは教えてもらえるだろうか・・・という思いでICUのインターホンを鳴らした。



『おはようございます。○○の娘ですが、父の様子を・・・・意識は戻ったのかという事と、脳への影響はあったのか、詳しい説明は面会の時でいいので、とりあえず簡単に教えてもらえますか?』



そう聞くと看護士さんは、



『はい^^

意識もしっかりしていますし、手足も動きますよ。

今、咽に入れていた管を外したばかりなので、まだ声は出にくいですが、面会の時には声も多少出るかと思いますよ。』



と優しく答えてくれた。



しつこいアタシは、



『意識がしっかりしているという事は、自分の名前などの認識も出来るという事ですか?脳障害は無いという事でいいんですか?』



と聞き返すと、



『はい^^大丈夫です。

脳への障害はありませんでした。』



と言ってくれた。



アタシは、

『有難うございました!!面会時間になったらまた来ますので、宜しくお願いします!!

そういってICUを後にした。



土曜日でシーンとしている廊下を、

両手をぐっと握り、

小さくガッツポーズを作って『よしっ!!よしっ!!』と言いながら歩いた。



上がって来るときと違い、こんなに足って軽かったっけはてなマークって驚くほど足が軽く感じた。




喫茶店へ向かい、待っていた母さん達に、



『今上に行ったついでにICUで聞いてきたよ!!

脳の障害は無いって!!』



そう伝えると、母さんも伯母さんも伯父さんもお兄ちゃんも喜んでくれた。




11時になり、再びICUへ向かった。

いよいよ父さんとのご対面だ。

手術後は麻酔から覚めていなかったから、これが本当の術後の対面。




色んなチューブやらなんやらと付けられた父さんは、うっすらと目を開けていた。



母さんとアタシとお兄ちゃんとベッド脇に立って、交代に父さんに話しかけた。




母 『私・・・・分かるはてなマーク長い時間頑張ったね・・・』

父 『とも子か・・・・』


父の目から涙が溢れ、長い睫毛が涙で一杯になっていた


私 『陽子だよビックリマークよく頑張ったねビックリマーク

父 『陽子か・・・・・』


声は小さくかすれかすれの声だけど、酸素マスクに耳を近づければちゃんと聞き取れる程の声だった。

陽子か・・・と言いながら、右手をゆっくり出してきた。


手にも色々付けられているので、親指しか触れなかったけど・・・


母 『良次もこっちにきてやって・・・』


そういうと、父さんが


『良次か・・・・』


兄は一歩下がったところで父の顔を見ていたが、父さんが『良次か・・・』と言うと、

普段は絶対に泣かない兄が、目を真っ赤にして、目頭を押さえて、


『生きとってくれて良かった・・・』


と言った。


まだまだ術後間も無いので傷が痛むようで、合間合間に『痛てぇ・・・・痛てぇ・・・・』って顔をしかめた。



面会時間もあるし、長く居ても父さんが疲れると思い、母さんが


『また来るでね。もう時間だからいくね・・・』


というと、父は涙を流し、まだ居て欲しいという目で見てきた。



後ろ髪引かれる思いだったけど、面会時間が迫っていたので、ICUを後にした。






次面会できるのは、夕方18時30~19時の間の30分間だけ。


半日もあるので、お兄ちゃんと伯母さん達は帰っていった。


アタシは、どうしても夕方の面会でもう一度父さんに逢ってから帰りたかったので、半日病院で待っている事にした。

母さんは、『私も付き合うわ』といって、半日病院の待合室で時間を潰した。





手術日前日。

結婚してから初めて実家に泊まった夜、母さんが言った。


『こうしてると、娘に戻ってきたみたいだね』


と。


向き合って座り、じ~っと顔を見て喋ってくる。

とっても嬉しそうだった。





手術当日は緊張の一日で、最終日は静かな土曜日だった。


土曜日の静かな待合室で母さんが、



『昨日はもの凄い長い一日だったけど、こうしてみると、あっという間の3日間だったね・・・

今夜から暫くは一人だね。』



そう寂しそうにいったけど、どうすることも出来ないので、


『頑張ってね』


としか言えなかった。






夕方18時30分にICUへ向かい、父さんの顔を見に行った。



母さんが、


『もう夜だよ。一日過ぎたよ!!陽子が帰る前に、もう一回来てくれたよ!!


そう言うと、父はまた手を出してきた。

朝と反対側に立ったのだが、こっちの手は何も付けておらず、手を握ることが出来た。


手術室に入る前にも手を握って送り出したけど、その時の力に負けないくらいの力で握ってきた。


『痛いけど我慢してねビックリマーク日に日に良くなるから、それまでの辛抱だから頑張ってね!!


そう言うと、父は


『そうか・・・・・』と言った。


いつまでも手を離さない父に母さんが、


『いつまで居ってもきりがないで、陽子も新幹線の時間があるで、もう帰るでね。』


そう言うと、父はまた涙を流した。


『陽子・・・・ありがとな・・・・敏(旦那)にも有難うって言っておいてくれな・・・』


そう言ってさらにギュッと手を力強く握ってきた。




涙の父をICUに一人残して出てくるのが辛かったけど、ぐっとこらえて出てきた。




病院で母と別れ、一人新幹線の乗り場に向かった。




心配だけど、あとは日にち薬だからね。

そう思いながら名古屋をあとにしました。




続く


手術1

まず、

父の事を心配してくださった方々!!

本当に有難うございました!!


結果から報告しますと、無事に手術は成功しました!!

恐れていた脳への障害なども無く、手足も動き、意識もはっきりしております!!

命があって本当に良かったですしょぼん

でも大変な手術でした・・・しょぼん

とっても長い長い手術・・・



手術時間は、


10時間!!


予定では8時間くらいだったのに、結局は10時間の大手術でしたしょぼん



内容はこんな感じ



私と旦那と犬と犬


私と旦那と犬と犬



大動脈瘤右矢印人工血管置換術

狭心症右矢印冠動脈バイパス術



今までは母さんの話を電話で聞いていただけだったのですが、こうして先生の説明を聞くと、ちょっとちょっとーーーっビックリマーク母さんの話と違うじゃん叫びっていう事がてんこもり!!


まずは瘤の大きさ。

正しい大きさは、なんと6cmだったのだガーン

(母さんの話だと5cmだったはずなのに汗



それに、

場所も弓部を過ぎた辺りだっていっていたはずなのに、

用紙には胸部上行・弓部って書いてあるんですがガーン

ここってば難しいところだってネットにあったじゃん・・・汗


それに、

この前のカテーテルで問題解決って思っていたのに、よくよく聞いていると、結局手術の時に一緒にやら無いとダメって事だったんです叫び


一度胸を開いて、また別の時に再度胸を開くというのも大変なので、今回一緒にやりましょうって事なのだ。


ただ、

もう一箇所冠動脈が狭くなりかけているところがあるという事なんだけど、

それは末端の方だし、今のところどうなるってものでもないし、

一番は、

そこまでやっていると、時間も長くなり、患者さんの体の負担も大きくなり、リスクばかり高くなってしまうので、今回はやめましょう・・・って事になったんです。


なので、上記の2箇所を手術しました。






4月10日、朝9時20分に手術室へ入っていき、終わったのは夜19時20分。






予定よりも手術が長引いた原因を聞くと、



『とにかく出血が多くて大変だったのと、瘤の位置が難しいところだったので、その点で手こずり、手術時間が長引きました。』



と説明されました。



引き続き、



『脳への障害の有無は、意識が戻ってからじゃないと判断できません。

手術自体は成功しましたが、もし脳にゴミ(血栓)が飛んでいた場合、

麻酔が切れる時間なのに目が覚めないだとか、半身不随だとか、脳に障害が出たという事になります。

それも、麻酔が切れる3~4時間後にしか分からない事です。

明日の面会時には分かると思います。』



と説明された。



みんな

麻酔が切れて、話せないにしろ目が開いた状態の父さんに逢えると思っていたので、がっかり・・・



命があったという事が一番なのだが、欲が出てきて、脳に障害が残りませんように!!ってみんなが思っていました。



この状態なので、いつまで居ても仕方が無いので、とりあえずみんな父さんの顔だけ見てこの日は帰った。



この日の夜は、長かった・・・



深夜

ふと目を覚ますと母が泣いていた。


声をかけると、



『今頃麻酔が切れて痛がってるだろうか・・・』

『脳に障害が残ったらどうしよう・・・』



そういって泣いていた。




続く。