今日はもうすぐでインドネシアに帰ってしまうルームメイトのリナと沢山お話をしました
彼女はとても正直で、物言いがとてもダイレクトです。
でもその後ろには常にその人を思う気持ちが見えているので、どんなに直接的な言い方でも素直に心に入ってきます。
そこが彼女のすごいところなんだよな。
そんな彼女が言いました。
「英語って、インドネシア語よりももっと語彙があるし、違う言い回しができるから、大好き」
そう、彼女の母国語であるインドネシア語は本当に語彙が少ないそうです。
だからこそ直接的なものいいしかできないのだとか。
たとえば、何かに招待されたけれど行きたくない時も
日本語なら「今回は遠慮させていただきます」
英語なら "Not this time, thank you (今回は結構です)"
などオブラートにくるんだ言い方がありますが
インドネシア語では「いきません」のようなダイレクトな言い方しかなく、他の言い方に変えるということもできないそうです。
彼女はものいいはとてもダイレクトですが、人を傷つけるような言い方はしたくない、という人なので
母国語で話すことは中々難しいそうです。
言いたいことがあっても、相手が傷つくようなダイレクトな言い方しかない場合はあえて何も言わないんだって。
「だって他に方法がないんだもん。しょうがないよね」だって。
そういう方法でコミュニケーションをとっているから、周りの人が自分のことを分かっていると言ってくれても、その人たちが知ったつもりでいる自分っていうのは、言いたいことを言えずにいる、本当の自分でないことが多いのだとか。
だから時にすごく悲しいし、辛い、って言っていました。
それを聞いて日本とは本当に対極にいるんだな、と感じました。
日本って、適度な直接さは大切かもしれませんが、それでも直接的なものいいってあまりよく思われませんよね。
それに間接的なものいいのバリエーションがありすぎて、直接的なものいいはすごくきつく聞こえてしまうというように感じます。
いろんな語彙があるからこそ、2重にも3重にもオブラートに包んだ言い方ができてしまう。それで不愉快に思うことだってあります。
私はもともとそうやってなるべく間接的に物を言うような人なのですが、アメリカに来てからは、もう少しダイレクトなものいいを好むようになりました。
逆にリナはアメリカに来てからインダイレクト(間接的)なものいいをするようになったといいます。
同じ言語でも、自分の出身国によってそうやってまったく違う捉え方をされるんだから、すごく面白いですよね。
そういう意味では英語って、直接的にも間接的にも使えて、便利な言語だし
そうやってどちらで使っても受け入れられるのは、おおらかなアメリカの文化の為せるわざなのでしょうね。
おおらか過ぎるところがあって、イライラすることもあるけれど、そんなアメリカ文化も最近やっと受け入れられるようになってきました。