昨日から、やっとやっと秋の空気に包まれた関西です。

今年の猛暑は、本当に長かった(~_~;)

 

 

心配しましたが、ぴょん太、北海道から機嫌よく帰ってきました☆

 

北海道からの帰りはフェリーだったので、携帯の電波も届かない時間が多く、

ゆっくり休めたということだったのですが、

さすがに疲れも見え、大学が始まるまではのんびりしていました。

 

 

そして、後期が始まる前日は、

一日部屋に籠もって、漫画を読んでいました^^;

 

そして、何となく緊張感が漂っていました・・・(-_-;)

 

 

なので私、もし、後期の始まりが順調に行かなければ、まだぴょん太のPTSDは解消されてはいないのだと、覚悟を決めました。

 

 

けれども、私の心配は杞憂でした。

 

 

夜になると、ちゃんと眠くなって、当日も早く起きてきました。

(なぜか、出る前にバタバタでしたが^^;)

 

お風呂に入って、ご飯もしっかり食べました。

 

何時頃帰る?って聞いたら、

「今日は3限まで・・・」と言って出かけて行きました。

 

 

けれども・・・

ぴょん太、夕方になっても帰ってきません。

夜の8時頃になって、私の心配はよそに、機嫌よく帰ってきました。

 

友達と一緒だったとのこと。

「ハンバーガー食べて来たから、ご飯少しでいい・・・」と・・・

 

それならそうと、連絡してよーーーと思ったけど、

明らかに表情が和らいで、饒舌になったぴょん太を見ると、

心からホッとしました。

 

 

けれども、すぐに三連休がやってきて・・・

油断してはいけないと、自分に言い聞かせました・・・

 

が・・・

 

昨日は、ぴょん太、朝から、

「散髪してから、バイト行ってくる・・・」と言って、出かけて行きました(@_@;)

 

私が何も言わないのに、自ら散髪に行くなんて・・・(@_@;)

口を酸っぱくして、散髪に行かせた日々が嘘のようです・・・

 

そして、今朝は、私より早く起きてきて、元気に出かけて行きました。

 

明らかに、ぴょん太の、学校に対する、集団に対するトラウマは、寛解に向かっているのだと感じることができます。

 

ぴょん太を温かく受け入れてくれるお友達、先生、学校、環境に、心から感謝です。

ただただ感謝です☆

 

 

 

私が思うに・・・恐らく、誰しもが、大なり小なり、トラウマを持っているものではないかと・・・

 

私も、幼少期の経験から、小さなトラウマがあります。

ある生き物についてなのですが、

今でも、その写真や映像でさえ、何秒も見続けることができないのです。

ゾワゾワーーーっとくるものがあって、すぐに顔を背けてしまうし、逃げ出したい気持ちになるのです。

 

恐らく、一生このままだと思うし、克服したいとも思わないし、

立ち向かう勇気もありません。

 

 

けれども・・・

不登校になってしまった子どもたちは、

深く刻まれたトラウマを克服するように、

常に、あらゆる場面で求められます。

 

ぴょん太や極期を味わった子どもたちは、

学校に対して、集団に対して、私のトラウマなど到底及びもしない、強烈な恐怖感を刻み込まれたはずなのです。

 

今思うと、その恐怖から逃れるために、部屋に閉じこもり、ゲームに没頭するようになるのも、当然の現象だったのです。

 

ぴょん太は、それと向き合うのに、どれほどの苦痛を伴ったのだろう。。。

どれほどのストレスを感じ、どれほど脳にダメージを受けてきただろう・・・

そして、どれほどの葛藤を乗り越えて克服してきたのだろう・・・

と考えると、

当時、それを理解してあげられなかったことが、心から申し訳なく、涙が出てきます。

また、立ち向かい続けてきたぴょん太を心から尊敬します。

 

 

もし、子どもたちが、今の学校にトラウマを感じているとしたら、

本当に無理させなくていいです。

無理させないでください。

ゆっくりエネルギーを、十分にチャージさせてあげてください。

 

そして、子どもたちがとっても元気になった時に、

今の場所に戻りたいと思うなら、戻る方法を一緒に模索していけば良いと思うし、

子どもたちがその場所を望まないなら、

心からのびのびワクワクできる場所を探してあげていただきたいと

心から願っています。

もう、9月も中旬となりましたが、

相変わらずの猛暑でバテバテです(~_~;)

涼しくなるどころか、紫外線がきつくなって暑さ倍増・・・

この先、毎年これ以上暑い夏がやってくるかもと思うと、

気が遠くなります。゚(゚´Д`゚)゚。

 

 

それに引き換え、ぴょん太といえば、

今、なんと北海道までツーリングに行っているのです(@_@;)

 

先ほど、実家の父から、「ぴょん太から送られてきた・・・」と、

写真が送られてきました

 

日本最北端 宗谷岬(@_@;)

 

 

ぴょん太から私には、『はい』とか『わからん』とか、ほぼ単語しか送られてきません(T_T)

気が向いたら写真を送ってくれるのですが・・・

 

昨日の夜、

『わからん(●`ε´●)』 と返ってきてから、

既読にもなりません(-_-;)

 

なので、心配していたところに、父がLINEをくれたので、とても安心した次第です。

 

昨日のやりとりで、ぴょん太がなんで(怒)となったのか、

私には、ワケがわかりませんでした(・・?

 

でも、この写真でわかりました。

 

昨日は知床にいて、「もうそろそろ帰るつもり」とのことだったので、

そして、海沿いで帰るつもりとのことだったので

私は、知床から、下に行くものだと思って、

「襟裳岬で写真撮る?」・・・と送ったのです。

 

 

 

やからやったんや・・・^^;

 

 

ぴょん太は、北海道の上に上がって行くつもりだった・・・

ぴょん太の思い、考え、望みがあるのに・・・

私が勝手に想像して、先々に言ってしまってるのだな・・・と・・・(-_-;)

 

 

そんなこと・・・

そしたら、「稚内の方(上の方)に向かうから・・・」と言えばいいやんて思うけど、

そしたら、また私にごちゃごちゃ言われると思ったんだろうなぁ・・・^^;

 

 

余計なことは言わないように・・・と頭ではわかっているけど、

どうしても、先回りして言ってしまうのだなぁ・・・私・・・(-_-;)

 

 

 

ぴょん太は、こないだの月曜日に、思い立ったように、朝から荷造りをはじめ、

昼過ぎに、大型バイクで出かけて行きました。

 

ぴょん太は最初、関東の方へ行くと言っていて、

その時、主人も平日休みがあったので、長野辺りで落ち合おうかと言っていました。

 

ところが、急遽、主人が行けなくなって、それならばと・・・

どんどん北の方へ向かって行ってしまいました(-_-;)

ついには、北の果てまで・・・(@_@;)

 

 

私は、心配しても仕方ないとわかっていても、

連絡がつかないと、心配で心配で・・・(T_T)

 

自転車旅の頃は、GPSも入れてくれていたし、

ぴょん太からも、ちゃんと連絡をくれていました。

(かわいかった(T_T))

 

それが、今ではこんな塩対応・・・(T_T)

 

 

元気いっぱいならこれほど心配しないかもですが、

猛暑の中、何時間も・・・

これまでの6年間を思うと、気が気でなく・・・

 

熱中症になってないだろうか・・・

しっかり食べているのだろうか・・・

しっかり眠れているだろうか・・・

ちゃんと薬は飲んでいるだろうか・・・

(しっかり飲んでたら、もう無くなってるはず(~_~;))

 

北海道は北海道で、急に涼しくなって、夜は寒いし・・・

それから猛暑の関西に帰ってきて、自律神経大丈夫だろうか・・・とか・・・

 

考え出すと、心配事は次から次へとやってきて、尽きないのです(~_~;)

 

 

でも・・・もう、どうしようもないのですよね・・・

 

ぴょん太も、もう19歳・・・

 

淋しいけれど・・・もう、子どもではないんだ・・・

 

もう、私が何を言っても、ぴょん太はぴょん太の道を行くのだ・・・

 

ぴょん太がどのような道を選ぼうとも、私はそれを受け止める覚悟を持つ・・・

尚且つ、ぴょん太は、どんな道を通っても、必ず幸せになる☆

と、信じ切ること・・・

 

それしかないのだな・・・と改めて感じた、今年の夏でした。

 

 

 

< ぴょん太が送ってくれた写真より >

 

伊豆

 

陸奥湾

 

大間崎

 

白金青い池

 

天に続く道

三池先生のあとがきより・・・

 

******************

 

あとがき ー 大人たちの教育が、子どもの脳を蝕む

 

 

・大人たちの無意識の虐待

 

不登校の歴史のなかで学校は、

 

1 行かなければならないが行けない時代、から

2 行きたいが行けない時代に変わり、もっとも最近では

3 行きたくないから行かない時代、となった。

 

 と評論されている。

 これまで科学的なデータをもとに話をしてきたが、

 子どもたちの脳は疲れはてており、あるいはうまく育ってさえいないことに

一社会人として子どもたちへの申し訳なさを感じる。

 

 子どもたちがおかれている生活環境の劣悪化に、自らがなにも関与していないと知らぬふりを決めこんで、結果的には子どもたちを虐待してしまっている日本の大人たち(もちろん私を含めてであるが)に私は心底から腹を立てている。

 

 日本の大人たちは、たとえば学校に行けなくなってしまった子どもたちが大勢出現しており、その背景には何倍もの生きていく自信をなくした子どもたちがいることを知らなければならない。・・・

 

 ・・・

 

 いい学校に送り込むことが唯一無二の価値観であるかのごとく親子を洗脳し、朝早くから夜遅くまで勉強を詰めこみ、そのシステムのなかで命を削り、疲れ果てて脱落せざるを得ない生徒たちを量産しているという罪の意識もなく、逆に彼らを怠け者扱いする大人たちに教育者などと名乗る資格はないのである。

 

 私は、私たちが学力と称しているものが、じつはロボットやコンピューター脳の機能であって、真の学力やこころとはかけ離れていることを述べてきた。

 このような、人としてのこころに欠ける学校社会のなかでは、しばらくの間、子どもたちは自分の顔に仮面をつけたまま生きていかざるを得ない。

 

 仮面の生活は、当然、自分自身が生きているという感覚には乏しいが、孤独で支援のない村八分的な生活はさけられる。

 よい子を演じて、大人社会の評価を得ていくしか道はない。

 被虐待児は成人したあと、自らの子育てのなかで、無意識に子どもを虐待し始めることが多い。

 仮面をかぶりつづける現在の若者たちも、また将来、同様の子育てのなかで、違和感なく同じような対応をしていくだろう。

 

 

・仮面を脱ぐ子どもたち

 いっぽう、最近の流れから、子どもたちが

「おかしいものはおかしい、嫌なものは嫌」といえる下地がつくられつつあると感じている。

 ・・・

 

 

・本当のコミュニケーションとは

 慢性疲労症候群は確実に増え続けている。

 この状態では引きこもりが目立つ。

 もちろん、持続して支援してくれる友人がある場合はまだしも、

当初からあまり社交的ではない人の場合は、ほとんど家から出ることができなくなってしまう。

 慢性疲労症候群においては、前頭葉にある自律神経調節や情動にかかわる場所と、意欲やコミュニケーションにかかわる場所の血流が低下し、働きが落ちることがわかっている

 

 ・・・

 

 

・生きる力と学力

 最近の報道によれば、文部科学省には二つの概念が同居しているらしい。

 それは「生きる力派」と「確かな学力派」だという。

 

 ・・・

 

しかし、先に述べてきたが、子どもたちに生きる力がなければ学習など手につくはずがない。

 生きる力と学力は同一線上にあり、密接に関連しているのである

 

 ・・・

 

 私は子どもたちの生きる力は、自己肯定のなかから生まれることを強調してきたが、この点についてまず徹底した検討がなされる必要がある

 

 ・・・

 

 

・魅力のない日本の大人たち

 ニュージーランド、ワカタネ市で宮下千賀子氏は、

「日本・ニュージーランド教育交流会」という営利を目的としない財団法人を設立した。

 ・・・

 

 「なぜ、日本の子どもたちが、ニュージーランドでは元気に活動できるのに、

日本では疲れはててしまうのだろうか?」

 

 ・・・

 

 答えは・・・

 

 ・・・

 

 彼らの結論に、私の心は痛んだ。

 

 

 

・講義のない授業

 

 ・・・

 

 

・好奇心は学ぶ意欲と学力を生む

 

 ・・・

 

 

 私は本書のなかで、知識量を学力と考える発想からは、真の学力への進展や展開は望めないことを述べた。

 

 興味を感じ、その知的好奇心を展開していくところに、真の生きる力や学ぶ力が生まれる。

 教科書に書かれている基本的な知識から、子どもの興味を持たせる「先生」を育てなければ、慢性疲労症候群の子どもは、まだまだ増えるであろう。

 「学校を捨てれば、子どもたちは救われる」という状態が、一刻もはやく解消されることを、私は望んでいる。

 

 

******************

 

 

本当に・・・

三池先生の言葉に、身につまされる思いがします。

 

ぴょん太が倒れてしまう前の生活を思い起こすと、

そりゃ体壊すやろう・・・

と今では思う、ハードな生活でした。

 

小学生のときは、学校が終わってすぐ、おやつをさっと食べ、

習い事を3つ、はしごする日もありました(-_-;)

 

一重に、私のエゴでした(T_T)

 

お友達は、私学を目指して、遊びも我慢して、もっともっと頑張ってる・・・

将来のために、これくらい頑張らないと・・・

 

今思えば、ぴょん太の将来というよりも、自分が認められたい、もしくは、劣っていると思われたくない、恥ずかしい思いをしたくない・・・という高慢と恐れでした。

 

親として、当然であるはずの、我が子の心身の健康を最優先に生活するということができていなかったのです。

 

結局、ぴょん太に、自分を大切にすることよりも、世の中に合わせて生きていくことを、強要していたのです(T_T)

 

本当に、謝っても謝りきれない思いでいます。

 

 

ぴょん太は、本当に大切なことを、身を削って、私に教えてくれました。

 

ぴょん太は、今、自分で自分の人生を歩みだしています。

まだまだ親の助けが必要な部分はありますが、

 

明らかに、ぴょん太は『仮面を脱ぎ捨てた』のだと感じています。

 

私の言うことなど、よっぽど納得しなければ聞きません^^;

 

しっかりCCFSの概念に基づいた対処を行い、心身に栄養が蓄えられ(デトックスもされ)、眠れるようになれば、子どもたちは元気を取り戻し、自分の道を模索し始めます。

 

 

何かしらの間違いに気づいた時、親は・・・

自らを深く反省したならば、同じ過ちを繰り返さないよう、決して世間に惑わされないよう、心を落ち着けて、我が子を愛し、日々自分たちの幸せを築いていけばいいのではないかなぁ・・・と思います。

 

もちろん、私は、まだまだ過干渉グセが抜けず、

ぴょん太に、「あっち行って。」とか、

「まったく、お母さんがストレスなんやんか!」とか、

言われることもしばしばあるのですが(-_-;)

 

トライアル・アンド・エラー・・・

できるだけ口を出さず見守ろう!と、毎日毎日自分に言い聞かせています^^;

 

 

 

(2024.8.29)

今年も大きな台風がやってきました。

このような時期は、いつもぴょん太がCCFSを発症した2018年を思い出します。

大阪北部地震や、西日本豪雨が発生した年で、

その夏の台風は私が経験した台風の中で、一番強烈な台風でした。

繊細な子どもたちには、天候的にもあまりにもストレスがかかる時期です。

くれぐれもご自愛いただけたらと願います。

 

 

昨日に続いて三池先生の本から・・・

 

******************

 

 

D 後遺症としての不登校状態に対する対策

 

 慢性疲労症候群から少しずつ回復を果たし、学校社会に復帰したいと思いはじめたとしても、その気持ちだけで復帰できるほどこの状態は甘くない。

 勉強など手につかず頭にもなにも入ってこない状況が数ヶ月も持続したあとに、いきなり学校に戻れるはずもない。

 また大人数の中に入ると、緊張が頂点に達し、エネルギー消耗が激しい

 この段階ではまだ学校社会に向けて、大きな三つの要素が立ちはだかる

 

 一つは長期間の療養にもかかわらず生活リズムが回復しないこととあわせて、一日を活動的に過ごすエネルギーの不足状態が持続していることであり、

 

 二番目には長い間の闘病生活と学習・記憶機能障害からほとんど全員が学力低下をともなっていること

 

 そして三番目には長い間の学校社会からのひきこもり的生活のなかで対人関係の自信が失われていることである。

 

 ここからはじまるリハビリテーションが重要な意味をもっている。

 学校社会復帰に向けて、しっかりとしたリハビリテーションメニューが組まれなければならないことを強調したい。

 中途半端な体調で戻すことが治療などと考えないようにしなければならない

 これが基本である

 

1.体力・気力の補填

  ・・・ 

 

2.学力の遅れに関する支援

  ・・・

 

3.対人関係への自信

  ・・・

 

4.午後からはじまる教室の開設

  ・・・

 

 

・教育カリキュラム開発

 授業により知識をためこむカリキュラムは、脳の全体的な活性にはつながらないことを述べてきた。

 脳に知識を詰め込む能力は、確かに必要である。

 しかし過剰なまでの現代偏差値知識詰め込み教育は逆に、もっとも重要で、情報全体の収斂をおこなう脳の「前頭葉」の廃用性萎縮をきたす危険性がある

 子どもたちが思考し判断し、そして創造する訓練をするカリキュラムの開発に国をあげて取り組まなければならない

 ・・・

 

 宮沢賢治が、花巻農学校時代に実践した教育は、

物事を頭の髄から納得できるような教え方をし、好奇心をもたせ、実際に目でみて手で触ってたしかめさせた。

 感動を味わわせ、本質からわかる教え方」であったという。

 幼児期からの知育教育は、この基本的な考え方のうえに構築される必要があるが、現実は子どもたちの学ぶ意欲さえ失わせている。

 教育が狂育であってはならない

 この本の冒頭で述べたように、自らの存在意義、存在感が周囲の保護によって感じ取れる状態がなければ知育教育ははじまらないのである

 

 

・部活を制限せよ

 ・・・

 

・開かれた学校へ

 ・・・

 

・早めに社会体験を

 ・・・

 

・国語教育を充実させよ

 ・・・

 

・子どもたちの権利と義務

 これまでの私は、子どもたちが自分で自分の人生をつくる訓練や、学校で受ける必要性を述べてきた

 彼らの人生を彼ら自身に託すことが、私たち大人としての成熟と考えるからである。

 しかし、この提案が、今の日本において、広く受け入れられる状態にないことを憂うのであるが、その理由が日本の大人たちの価値観にあることをこれまでに述べてきた。

 

 ・・・

 

 私たち日本の大人たちは、彼らに彼らの人生を返す決心をしなければならないことを訴えたい。

 若者たちが、自分で考え、自分をしっかり認識し、自分が幸せと感じる生き方ができる、そのような権利をもつことができるよう祈るばかりである

 自分らしく生きる権利の裏には、大きな義務をともなうのであり、このこともまたしっかり身につけてもらうことが大事となる。

 自分の意見をはっきりと主張し、自分の発言に責任をもつことの訓練が学校社会の中でつちかわれなければならない。

 

 

・子どもにメンタルヘルスケアを

 ・・・

 

 

・学校開始時間を多様化せよ

 ・・・

 

・子どもたちを学校から離そう

 ・・・

 

 

・家庭教育をどう支援する

 ・・・

 

 

・資格試験と大学入学

 ・・・

 

 

・最終的に子どもを守るのは保護者

 

 家族には、問題行動があらわれた子どもたちから逃げることがないようにお願いしたい。

 わからなくてもよいのである。

 彼らと正面から向き合って懸命に理解しようとする姿を見せていただきたい。

 彼らがどのように惨めな状態にあろうとも

「あなたを愛しており、信じており、私たち親が命をかけて守る覚悟である」ことを

彼らに示すことで、大きな事件を未然に防ぐことが可能となる。

 子どもたちの人生は、責められ、なじられ、馬鹿にされつづけたものが多く、さらに叱咤激励されても、こたえる力は残されていない。

 しばらくの間はひきこもることもやむを得ないのであり、この状況下でこそ、彼らを真に支えられるのは家族でしかない。

 もし、家族が見放してしまうようなことがあれば、彼らには生きていく場所がなくなてしまうので絶望的となり、自らの死を含む犯罪へと向かうこともありうる。

 

******************

 

 

本当に・・・

ぴょん太がやっと、食欲も増え、顔色が良くなり、

家での生活が退屈になりだして、やっと、やっと元気が戻ってきた!!!

 

と喜んだのも束の間・・・

 

回復期に入ってから、学校社会に戻るまでが、極期とはまた違う、苦悩の日々でした。

 

元気が出てきても、まだ、学校に行ける気はしない・・・

 

一年以上、ほぼ寝たきりで、筋肉が衰えていたので

リハビリしてくれそうな病院を探しましたが、近くの小児科では見当たらなくて、

リハビリルームのある内科で相談しましたが、

「高齢者ばかりだから・・・」と、いまいち納得できない理由で断られました。

 

(なので、三池先生は、入院してのリハビリを推奨されているのだと思います。)

 

それで私は、地元にあるスポーツクラブを回り、その一つが、保護者同伴であるなら中学生でも会員になれると言ってもらえて、

コロナ禍に入るまで、ぴょん太と通いました。

 

ぴょん太が、元気になってきて、笑顔も増えて、運動できる姿が見れて、

そして、一緒に過ごせたその時期のことは、とても良い思い出となっています。

 

 

ただ・・・こういうこと一つひとつが、本当に手探り状態で、とても孤独であったことを思い出します。

 

 

初めから、CCFSの概念を取り入れている発達外来・・・

少々遠くても、あんどう先生のクリニックへ行っていたら、きっと折々、アドバイスをいただけていたであろうし、あんどう先生のところでは、リハビリ施設があったので、

このような苦労はしなくてよかっただろうな・・・と思います。

というか・・・

極期を味わうこと無く、回復できていたであろうと思います(T_T)

 

 

子どもたちがあらゆるストレス要因に悩まされる現代・・・

 

日本中の小児科の先生方に、CCFSの概念を理解していただけたらと願っています。

 

そして、三池先生の進言を受けて

国が、今後、できるだけ早く

CCFSの概念を理解し、周知し、思春期病に陥ってしまった子どもたちのために、思いやりあふれる盤石な教育システムを、真剣に構築してくれることを心から願っています。

 

 

(2024.8.28)

続いて、

三池先生は、『慢性疲労への医学的対応』として、

睡眠障害の治療のことから書かれていますが、

最初に10時間睡眠をどのようにとっていくかを検討するそうです。

 

うちの場合、ぴょん太は、当初、食欲も減って、どんどん痩せてきている状態で恐ろしいくらいに疲弊していました。

立ち上がることさえ困難で、簡単な計算もできないような脳の状態で、とても、

睡眠時間を自分でコントロールできるような状態ではありませんでした。

そして、睡眠時間もどんどんずれてきていていました。

けれども、その当時の私は、『起立性調節障害』という頭で、

『睡眠障害』という認識を全く持っていなかったので、何でこんなことになっているのかもわからず、

私は『早く学校にもどさなくては!』という頭でいっぱいで、

朝にできるだけ声をかけて無理やり起こすようにしていたと思います。

 

けれども、それは、ぴょん太に余計にストレスを与え、悪化させてしまっていたのだと今ではわかります。

 

経験上(激ヤセ型の場合)、初期は眠りたいだけ眠らせ、起きている時は、胃腸の調子を整え、血糖値スパイクを抑えつつ栄養を摂ることに専念する必要があるのだとわかりました。

 

実際、何ヶ月もかけて、しっかり食べれるようになってくると、自然にリズムもできてきました。

(PTSDになってしまうと、頻繁に昼夜逆転が始まってしまうので、先に三池先生が書かれているようにしっかり準備サポートし、最初から、十分な安心感を与え、学校、社会に対してのPTSDに陥らないような対応が必要です。)

 

 

 

 

それから・・・

気になったのが、

三池先生は、睡眠障害、うつ、家庭内暴力の場合、それぞれの治療に、ベンゾ系などきつい西洋薬を上げられているのが、私は残念に思いました。

もちろん、西洋医学界の中ではそうするしか術がないのかもしれないし、

少量短期間で使われる前提だと思いますが・・・

 

ぴょん太の闘病生活を経て、私の感じていることは、

結局、睡眠障害も、うつも、内臓の疲弊と質的栄養失調による各種ホルモンの不足、乱れからきているのではないかと言うことです。

(これは、オーソモレキュラー栄養医学の概念になります。)

実際、ぴょん太は、しっかり食べれるようになり太れるようになってくると、睡眠も整い、活力が出てきたからです。

 

ただ、CCFSに陥る子どもたちは、肝臓が弱っていて、グリコーゲンの貯蔵量が少なく、すぐにエネルギー切れを起こしてしまいます。(機能性低血糖症)

それが、血糖値の乱高下につながり、脳を傷めることとなり、うつにも、トラウマにも繋がりますので、常に抗糖化、出力のコントロールを心がける必要があります。

 

鍼灸や漢方薬は、内臓の働きを強めてくれたり、血液を造ってくれたり、きれいにしてくれたり、流れを良くしてくれたりします。

水分代謝を良くしてくれたり、余分な熱を取り除いたりしてくれます。

 

内臓が弱っている・・・

特に肝臓、腎臓が弱っている場合は、デトックス能力も弱っています。

その状態にあって、きつい精神薬、西洋薬を使うのには、子どもたちにあまりに酷なのではないか・・・といつも私は感じてしまいます。

(お医者様も、できるだけ弱い薬から出すようにはされていると思いますが。)

 

なので、子どもたちの心身を、できるだけ傷めずに治療するには、

東洋医学と栄養療法は必須ではないかと感じています。

 

また、猫背や神経障害などの後遺症を遺さず、きれいに回復させるためには整体やカイロプラクティックなど、外から働きかける治療も必要だと感じています。

 

けれども、ここは、

三池先生が、本当に子どもたちのことを思い、

CCFSの治療の確立を願ってらっしゃることが強く伝わってくる箇所です。

 

西洋医学、東洋医学、栄養医学、民間治療・・・

すべての医療分野が苦しむ子どもたちのために、壁を超えて

一致協力していっていただきたいと心から願っています。

 

 

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慢性疲労への医学的対応

 

慢性疲労症候群への医学的対応は、まだ確立されていない。

しかし、自らの健康状態をしっかりと把握することは、健康状態復帰への第一歩である。

医学・生理学的検討を十分におこなったうえ、

睡眠時間の確保など、医学的ケアを初期の段階でしっかりとおこなう必要がある。

 中枢神経疲労状態という、もっとも放置することが危険である状態を見過ごしにしている医学界と保護者の責任は重い。

 

1 睡眠障害に対して

 

   ・・・

 

2 不安感、うつに対して

 

   ・・・

 

3 家庭内暴力について

 

   ・・・

 

家族は、彼らから目をそらしたり、逃げてはならない。

何があっても、見捨てることがないことをしつこく何回も何回も述べて信頼を損なわぬようにしておかなくてはならない。

病院に入院させればすむということではなく、入院しても、いつも自分たちがそばにいること、見捨てたりしないことを納得するまで告げなければならない。

なぜなら見捨てられるという不安が彼らにとってもっとも深刻なものであり、この不安感がパニックをもたらすからである。

また入院を受け入れた病院は徹底的な治療をしておかなくてはならない。

このような思春期の精神医学を甘く見てはいけないのである。

 

 

4 易疲労性と学習・記憶機能障害に対して

 

この問題はこの本の根本的な命題である。

この問題が解決すれば、全世界の数千万におよぶであろう人々が自らの健康な人生を取り戻すことが可能になる。

筆者たちは、これを目標に研究を続けている。

現在のところミトコンドリア機能としての糖からのATPを生産する機能の賦活、もちろん脂質からのATP生産のサポート、さらにコリン作動系の学習・記憶細胞の賦活が重要と考えている。

   ・・・

 

 

※ 残念ながら現時点(2020年)でまだ満足できる治療法の開発はない。

  従って予防に力を注ぐ必要がある。

 

 

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以前にも、この部分を抜粋させていただいたことがあるので、

その記事をリンクしておきます。

 

 

 

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(2024.8.27)