手のないママのところにやってきた宝物。。。 -52ページ目

手のないママのところにやってきた宝物。。。

両腕のない母のところにやってきた✨天使✨

でも、、我が子も
先天性四肢欠損。
先天性右足内反足。
先天性左足脛骨欠損。
という手と足に障害を持ってやってきた!

障害者が障害児を育てる。人生と子育ての記録。

私は田舎育ち。
通っていた小学校はもう閉校してしまいましたが当時の全校生徒30名ちょっと。同級生は6名。
2学年一緒の複式学級で前と後ろとで別れて先生が行ったり来たりと授業をしていました。
そんな、小さな小さな小学校だったので
全校生徒みんなお友達でした。
有難いことに手がない事でのイジメや差別を受ける事なく先生達も他の子と変わらずいろんな事をさせてくれました。

ただ、小学〜高校卒業まで人に恵まれる一方で
本当に最悪な先生にも出会いました。

まずは小学2年生の担任。
私だけでなく同級生みんなが忘れたいというくらいの最悪な先生でした。
後々母から聞いた話が
担任と母が初めての面談の時に言われた一言が
「あの、よく笑うのも何か障害ですか?」
だったそうです(笑) 確かによく笑う子だったみたいですが母は怒りよりもそんな質問が来ることに拍子抜けしたと言っていました(^_^;)

4年生の時は保健室の先生。
ある日、保健授業でタバコの授業がありました。
その当時、トリビアの泉?のヘーボタンが流行ってた頃で授業の中で知らなかったことや「ヘ〜」と思ったらボタンを押しましょう!という少しゲーム感覚な授業。
その中で、妊娠中の喫煙についての話の時。
保健の先生が
「妊娠中に母親がタバコを吸うと目が見えなかったり耳が聞こえなかったりaiさんみたいに手がなかったり障がいを持った子が生まれる可能性があります」と言ったそうです。←私は真剣に授業を受けてなかったのとあまり気にしてなかったのでうる覚え、、、、
その問題で同級生達は、ヘ〜ボタンを押しませんでした。すると「あれ?ヘ〜じゃないんですか?」と催促され嫌々ボタンを押していました。
その時は何事もなかったかのように帰ったのですがその日の夜に同級生の1人が親にこういう授業があって私が可哀想だった。と話してくれたらしく私の親に伝わりちょっとした問題に発展した事がありました。今になってはいい思い出ですね。

でも悪い事ばかりではなく、
楽しい思い出の方がたくさん✨✨
小学1年生の時は
念願の自転車デビュー!
親の反対を押し切り補助輪を外し
ハンドルに手を置くだけしか出来ないので
ブレーキを握れないという事で
ハンドルの上にブレーキをズラしてもらい押すタイプにして乗り回していました。
↑調子にのって側溝に落ちた事は内緒(笑)

小学2年生の時
ソフトテニスを始めました!
またまた、親は乗り気ではなかったのですが
やらなきゃわからない精神で
始めたテニスは卒業まで続けました。
右脇にラケットを挟みで左手をラケット下に添える。腰の捻りを使ってボールを打つ。
問題はサーブ。先生が考え付いたのが
首でボールを挟み落としてワンバンさせて打つ方法。先生が頼んで公式戦にも特別ルールで出してもらえました。
決して強くはなかったし限界はあったけど
たった1度だけ勝った事がありました。
その日は相手チームは私を見てもう楽勝ムード。
まぁ、それはそれは手抜きな試合でした。
腹が立ち。腹が立ち。腹が立ち。
でも、相手はその手抜きが仇となり
こちらはペアの子が頑張ってくれて勝ったのです!!
最初で最期だったけど、みんな自分の事のように喜んでくれたのを覚えています。
諦めない精神。って大切なんだなぁと
実感した瞬間でした!!

こんなして書いてると記憶って蘇るんだなと思うこの頃です。
まだまだ、たくさんの思い出が、、、、
またどこかでちょこちょこ書けたらいいなと
思います(*´꒳`*)

次は人生最大にグレた中学時代です。
でも、そのおかげで今の私がいて
いまの、周りの人との出会いがありました。

娘が産まれてからよく思います。
意味のないことは1つもないんだ。と
その時は分からなくても後から結論がついてくる。
きっと人生てそういうものなのかなぁ。なんて、、、、
うまくまとまらなくて長くてごめんなさい。
どなたかの目にとまってくれてたら
それだけで嬉しいです😊

ふと、世の中に私のように
親も子も先天性の障がいがある方は
どれくらいいるのたろう!?
と考える時がありますキラキラ

娘が産まれた時。
障がい者が産むからだと世間から言われるんじゃないかと思って怖かった
なんだろう。私は両腕がなくて良かったことがたくさんあるのに。
お腹の中で内反足がわかった時も。
片腕が見えないと言われた時も。
左手は手首までしかないと言われた時も。
子供には五体満足で。
と強く願っていたのが事実。

でも、結果的に娘は私よりも重度で軽度。
私とは違い
左手は肘もあり指が二本着いて物をつかめる。
でもそのかわりに
先天性左足脛骨欠損のため左足が短い。
そのためにもう、歩ける年齢でもまだ歩けず。
今年は膝下にある小さな二本指の足を切断し完全義足予定。

私が取れない物を娘が取り
歩けない娘の足は私が務める。
娘は障がいがあったけれど五体満足の家庭に生まれたら出来ない事が多い子なのかもしれないけど
私からしたら、手でご飯を食べる事や痒いところに手が届く事や縦肘ついてテレビを見ている姿を見ていると凄いなぁと思うラブ

何が普通。なのかはわからないもやもや
とよく思うけどこれが私達の普通なんだろうなぁ。
賛否両論あると思うけど。
私は思ったこと感じたことを書こうと思っています照れ
①の続きです。

私が小学校に入学する17年前は
まだ、障害者は養護学校が当たり前。の考え方が多く私も地元の小学校へ入学するのに苦労しました。
私の両親は私を地元の小学校に入れてもらえるよう卒園の1年ほど前から動いていました。

両親は私に選択させてくれました
私は迷わず地元の学校を選びました。
でも、教育委員会は新年度から開校する養護学校を強く勧められました。
トイレや着替えの手伝いはどうするんだ?
あれは、これは、といろんなことを言われました。
なかでも1番記憶に残ってること。
教育委員長や部下の人。病院の先生と名乗る人。の前で下着になりそのままで足を使って字を書いたりハサミを使ったり積み木をしたり色んなことをさせられました。
それは1回ではなく何度も。
今思うと、下着にさせられる必要性はなかったと思います。
その当時は両親もこれで地元の小学校への入学の許可が下りたらと必死だったと思います。
それでも、あらゆる事態を言われなかなか許可がおりませんでした。
1つ幸いにも私の地元は小規模校で
全校生徒30人程の複式学級でした。
同級生は6人。
学校に見学や体験入学に何度も行き校長先生も受け入れできると教育委員会に打診。
ピアノの先生は署名活動も行なってくれました。
それでも、教育委員会は最後まで許可を濁されました。
4月ギリギリになってやっと地元の小学校への入学許可証が届き無事に入学する事になりました

今思うと、両腕が諦める事なく戦ってくれた事に感謝しています。小学校への入学がなければ今の私ではなかったかもしれません。。。

③へ続く