気のむくままに -3ページ目

気のむくままに

観劇日記の様になってますが、気になりましたら、読んで頂けますと嬉しいです。

マイペースに更新しております。

シアタートラムで『YERMA イェルマ』を観てきました。


【作】オノマリコ
【構成・演出】稲葉賀恵
【出演】
咲妃みゆ 渡邊圭祐 小林亮太
樋之津琳太郎 大場みなみ 青山祥子 前東美菜子
渡辺いっけい

スペインの詩人・劇作家フェデリコ・ガルシーア・ロルカの戯曲『イェルマ』を起点に、現代の日本に置き換えて描いた作品。
子どもがいないことに苦しむ女性イェルマと、彼女を取り巻く人々。それぞれが自分の居場所や価値を見いだそうとする物語です。

登場人物たちは、イェルマも含めて、誰も彼も自分本位で、どこか壊れている。
イェルマの妄想も入り交じり、危うさや危険なものがすぐ隣にあるような舞台でした。

共感できるのに、共感できない。

自分の存在意義を必死に探す気持ちはわかる。でも、その生き方や言葉には共感できない。見ていて、いらっとすることもある。

それなのに、彼女たちの姿を通して、現代の家族のあり方や、自分が生きている意味をどう見つけていくのか、問いかけられているように感じました。

適応障害になり、仕事もできなくなったイェルマ。彼女は、子どもを産むことでしか自分の存在価値を見いだせない。

もともと1930年代に書かれた作品なので、当時の女性に求められていた役割も背景にあるのでしょう。

ただ、現代の日本でも「子どもを産む機械」という言葉を口にした政治家がいたことを思い出しました。時代は変わっても、女性の生き方や出産をめぐる価値観は、本当に変わったのだろうかと思います。

そんなイェルマを心配し、結婚を申し込んだのが友人のフアン。
結婚して2年半。仕事もきちんとしていて、世間的には良い人と思われているような人物です。
けれど、彼もまた秘密を抱えている。自らのセクシュアリティを抱えたまま結婚したフアンは、優しそうに見えて、実は無意識のハラスメントをする人でもある。

私は、イェルマ以上にフアンのほうが壊れているのではないかと感じました。

そもそも、2人の価値観はまったく噛み合わない。相手を理解できず、とことんすれ違っていく。
これでは一緒にいないほうがいいのに、フアンは離婚を拒む。

そして、別の人との間に生まれたイェルマの子どもまで、自分の子どもとして受け入れようとする。それがイェルマにとって何を意味するのか、彼にはわからない。

追い詰められ、壊れていくイェルマ。

さすがに、ここまでくると私は彼女に同情しました。


印象に残ったのが、冒頭でイェルマが客席に向かって語る言葉。

「欲望している、私は欲望している、私を人間にしてくれるあなたを」

この言葉が、劇中で繰り返されます。

誰が、誰に向かって言っているのか。

そして、そこにフアンが付け加えた言葉には、ぞっとしました。

自分の存在価値を誰かに認めてもらいたい。誰かに必要とされることで、自分が人間であると確かめたい。

その思いは理解できる気がする。でも、相手に自分の価値を委ねてしまったとき、そこには何が生まれるのだろう。

簡単には言葉にできない作品でした。

咲妃みゆさんのイェルマは、とても生々しい。追い詰められ、少しずつ狂っていく姿から目が離せませんでした。

こういう、危うさを抱えながら壊れていく役が、本当によく似合う方だなと思いました。


渡辺いっけいさんの役は、イェルマの内面のような役で、彼が老婆としていうからこその言葉の残り方でした。

見終わっても、すっきりとは整理できない。登場人物たちにいら立ちながらも、どこか他人事ではないものを突きつけられる。

そんな作品でした。