骨と十字架 | 気のむくままに

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観劇日記の様になってますが、気になりましたら、読んで頂けますと嬉しいです。

マイペースに更新しております。

野木萌葱さんの脚本、小川絵梨子さんの演出に、このキャストという事で、楽しみにしていました。


【キャスト】
神農直隆 小林 隆 伊達 暁 佐藤祐基 近藤芳正


新国立小劇場、千穐楽のB席のチケットを確保しつつ、折り返しの辺りでZ席から観劇。
観る位置によって見え方が違いました。特に照明の見え方と蝋燭の炎のゆらめきとともに見える表情(方向が違うので)‥がかなり違い、感じ方も少し違うような感じがしました。



ヴァチカンが進化論を認めていない時代に、神父でありながら、同時に古生物学者として北京原人を発見し、一躍世界の注目を浴びることとなったフランス人司祭、ピエール・テイヤール・ド・シャルダンの生涯。どうしても譲れないものに直面したとき、信じるものを否定されたとき、人はどうなっていくのか、どう振舞うのか。歴史の中で翻弄されながらも、懸命に、真摯に生きた人々を描きます。

(公式サイトより部分抜粋)


シンプルなセット、衣装はイエズス会の神父は黒、対してドミニコ会の司祭は白  
印象的なのは、燭台の蝋燭。炎がともり詰問室にもなったり、消えてる時は北京の発掘場にもなる。

蝋燭の炎のゆらめきを眺めながら、彼らの演技に集中していると、炎が彼らの心の揺らぎに感じました。

テイヤールの存在による周りの彼らの心の揺れ。

嫉妬、動揺、懐疑‥彼らの心に抑えこんだ感情が溢れたり吐露される先から、観ている時も、終演後も彼らの思いを想像した。


登場人物皆含みをもち、心に抱えてはいるが口にしない感情がある。
私達の日常と同じ、思いあたる感情に共感していた。

テイヤールと同じく司祭であり、学者でもある伊達さん演じるエミール。
テイヤールと同じく、科学を追求。
神への愛を片手に科学への信念を片手に、2つの道を其々に追求しようとするテイヤール。それに対し、その両方を両手で抱き締めようとするティヤール。2つを融合しようとする彼の考えに、華々しい功績を挙げた彼への嫉妬。そして、嫉妬に留まらず、冷静にテイヤールの主張に警鐘を鳴らす役割。

科学を追求することは、神は地平線の先にいて、人間は追いつこうと前へ前へ進んでいるというテイヤールの考えを否定してしまう。人間の進化をたどると、神は人間が想像して作りだしたという考えにいきついてしまうのでは‥

1幕最後。どん!どん!どん!がらがらと崩れていくような効果音のなか、
「気づいてしまえ、それに気づいた時、お前はお前の神を否定す」というエミールの渾身の言葉に呆然としてしまった。



物語の中でエミールが友人である一番の理解者の様に一見みえたが、
実は、神に対するはっきりとした考えを持っていて、真っ向からテイヤールの神に対する考えを、はっきり否定し、自分の感情を口にしていたラグランジェが一番テイヤールの考えの理解者だったと思う。
最後にテイヤールの考えを自分には理解できないが、テイヤールはそう考えているんだね、と議論の末、理解を示した。



テイヤールも、本心を口にしていた。しかし彼には、本心と無意識の言葉があるような気がした。



神が天にいて我々を見守っているというラグランジェの考え。進む先にいるというテイヤールの考え。

その議論を聞いていて、この感情に覚えがある。これってたとえは、仕事でだったり、子育てであったり‥
自分の信念はこうだけど、これに正確があるわけではなくて、この考えを理解してもらえずにじれったい気持ちになったり、通じて嬉しかったり。でも、お互いの考えをそういう考え方もあると認めたいよなあと。

私が信じる神のもとへ
其々が信じる神のもとへ
でいいよなあと。

俳優陣がまたまた素敵でした。
とても。