3.11に思うこと | 守ろう子どもと赤ちゃん

守ろう子どもと赤ちゃん

ママ達のつなげる防災活動

7年目の3.11から数日が過ぎました。

私が過去に投稿したfacebookの文字を読み返したり

写真を見返したりして思うことがたくさんありました。

 

3.11に書くことができたら良かったのかもしれないけれど

思うことが多くありすぎて文字にすることができませんでした。

 

あれから数日がたち

やっと自分の気持ちを整理して

文字に残してみようと思うことができました。

 

かなりかなり長文です。

私の気持ちの記録として綴っているだけなので

支離滅裂なところも何ヶ所かあります。

興味のある方・お時間のある方がいらっしゃいましたら

どうぞお読みください。

=============================

 

花ピンク7年前のあの日。

ゴスペルの恩師である門馬綾子先生のLIVEのため

午後から仕事をお休みして248沿いにある飲食店で遅めのランチを食べていました。

大きなトラックが通るたびに少し揺れる店内。

少し寝不足が続いていたあの日。

何となく鈍く頭がくら~っとするのが続きました。

それは頭だけでなく体全体にも・・・

でも最初は体調不良だと自分に言い聞かせ数分。

一緒にランチを食べていた今の夫も

同じように“自分の体調不良”だと思っていました。

店内にいた周りのお客さんもざわつきはじめ

これは体調不良じゃない!何かがおかしい!とやっと気が付くまでに数分。

いきなりもっと揺れるんじゃないかと身構えて数分。

大きな揺れが来るわけではなく5~10分くらい経ったのだろうか?

お会計を済ませ、カーナビのテレビを見ると“東北で地震”・・・目を疑いました。

東北の地震がここまでこんなに揺れるの????? と。

まだこの時は震度7という大きな地震ということは知りませんでした。

 

LIVEのある刈谷駅近くまで行き、駐車場に車を停めた瞬間

“津波に数百人が流された”というテロップ・・・また目を疑いました。

どうして?数百人ってどういうこと?

よく分からないままLIVEが始まり、門馬綾子先生の歌がスタートしました。

途中のMCで…

「私の実家が福島県です。両親と連絡が取れていません。

 私に翼があったら今すぐにでも両親のもとへ行きたい。」

そして歌いだした“翼をください”…

今でもあの時の情景・歌声を思い出すと胸が熱くなります。

 

花ピンク震災から26日目・・・

長女の小学校入学式がありました。

「今日、楽しみにしていた入学式を迎えることができなかった

多くのお友達が東北にはいます。お友達の分まで

一生懸命元気に過ごし、楽しく学校に通って欲しい」

と校長先生が話をして、全員で歌ったアンパンマンのマーチ。

当たり前に成長を見守れることが

どれだけ幸せなことなのかということに気づかされました。

 

 

花ピンク震災から1年後(2012年)・・・

門馬綾子先生が福島県を音楽の力で元気にしたい!と立ち上げた

311スマイルアゲイン実行委員会」の初イベントとして

音楽の花を咲かせようツアー~に参加することができました。

スマイルアゲインメンバーとして一緒にステージで歌った以外にも

少しだけ勉強したヘッドマッサージが役に立ち

福島(平田村)の皆さんとお話をしながら癒しの提供をさせていただくことができました。

笑顔でいろんな会話をした中で

新聞の天気予報欄にも放射能予報が書いてあるという話がでてきたことを覚えています。

実施に宿泊施設で見た天気予報で「つづいては明日の放射能予報は…」という感じで

画面に映し出されたことが驚きでした。

 

音楽の花を咲かせようツアーの帰り道には

福島県いわき市の小名浜を通らせていただきました。

  ※当時撮影した写真を掲載します※

 

 ↓公衆トイレなのに使用できず仮設トイレがある

 ↓不用品回収のお店だと思われるが…

 右の山の向こう側はすべての住宅が残っていたが

 ↓ 山を抜けて海沿いに出たら…

 ↓ポツンと残っていた住宅

 ↓学校の校庭には瓦礫の山

 

今の夫が運転する車に乗っていたけれど言葉を交わすことができませんでした。

胸が押しつぶされそうになるのを必死に深呼吸して押さえながら

“福島まで来てこの景色を見ているということに何か意味があるのだ”

と漠然と感じながら

時の止まった空気の流れも音も感じられない目の前の景色を

ただひたすらに見ていくことしかできませんでした。

 

運転を止め、大きく深呼吸したあの時の夫も

きっと何か感じること思うことがあったのだと思う。

 

 

花ピンク震災から2年後(2013年)・・・

親戚10名という大家族旅行で東北へ行きました。

小岩井農場・中尊寺・松島など観光が目的の旅行だったけれど、

帰りの仙台空港までの道のりを

タクシーの運転手さんが語り部となり

震災後の現状を案内をしてくれました。

 

震災から2年が経っていたのに

海岸沿いの集落は1年前に見た景色と何も変わっていない。。。

草が伸びているのはよく分かります。

崩れて倒れそうな家もありました。

 

「基礎のコンクリートがきれいなところは持ち主が解体したところ」

「基礎のコンクリートがガタガタしているところは津波で流されたところ」

「2年も経つのに崩れそうな家がまだあるのは、

 その家の持ち主が見つからず、誰も手を出すことができないから」

「あそこに1件だけキレイに残っている家は、

 海側にあったお寺の大きな屋根が津波で崩れて

 津波の流れる向きが変わったから運良く残ったんだよ」

 

運転手さんから伝えられる話をとにかく聞くのが精一杯でした。

1年前の小名浜で見たあの時と違うのは

人が歩いていて、道沿いに花が植えられていて、

空気が動き、音があり、

少しずつだけれど町が動いている感じがしたということ。

 

車の中で眠る子ども達の寝息を感じ

この寝顔を見続けていたい!と思ったことを覚えています。

 

 

花ピンクそして月日は経ち震災から5年(2016年)

今の夫と再婚し、子どもを授かり

私にとって3人目となる守るべき命が誕生しました。

今までの育休とは違い、気持ちにも余裕があり、

何かを考える余裕もあったその時、

ふと・・・思ったことがあります。

 

それが

「今、巨大地震が起きたら私はどうしたらいいの?」

「子どもはどうやって守ったらいいの?」

ということでした。

 

この思いが発端となり、

2017年1月にスタートしたのが「守ろう子どもと赤ちゃん」です。

私の不安な気持ちや活動を立ち上げた思いは

最初のブログに綴っています。

読まれていない方がいらっしゃいましたら
お時間ある時にでもぜひお読みください。

「守ろう子どもと赤ちゃん」スタートします

 

 

花ピンクそして震災7年目となる今年(2018年)

守りたい」という思いは日に日に強くなっています。

それは、活動をスタートしてから1年の間に多くの方と知り合うことができ

リアルな経験談が聞けたり、いろいろな刺激を受けたりしたからです。

 

そして、私や守ろうメンバーだけ…が意識しても無理だということも

日に日に強く感じるようになってきました。

もっともっと地域の中に

ひとりでも多くの“意識して活動する仲間”が必要なんだと思っています。

1番最高なのは無意識でも活動できる仲間…とも思います。

 

「守ろう子どもと赤ちゃん」の『守ろう』には

たくさんの想いが込められています。

 

いのちを守ろう

笑顔を守ろう

幸せを守ろう

未来を守ろう

寝顔を守ろう

ぬくもりを守ろう etc...

 

私たちと一緒に活動していく全ての人の

「守りたい」と思うものを当てはめてもらえれば良いと思っています。

 

シンプルに守りたいんです。

 

でも・・・ひとりでやるのは無理なんです。

ひとりひとりが襲い掛かってくる瞬間の時の命を守り、

そのあとは協力し合って命を守り抜く必要があるんです。

 

それを最近強く感じます。

 

自分では何もできない乳児を守るのはママ。

でも、乳児を守ることに必死なママを守ってあげられるのは誰?

 

子どもと離れている時にはどうなるの?

何とかして命を守り、ママやパパに会える時まで必死に生きていくことを

教えてあげられるのは誰?

ひとりだけが知っているのではダメ。

協力し合って助け合える仲間が多いほうが頑張れます。

それを教えてあげられるのは誰?

 

子どもが家で留守番している時にはどうなるの?

近所の誰かが必ず助けに来るの?

助かった後はどうするの?

ママやパパに会えるまでどうしたらいいの?

近所の人たちはどんな風に考えているの?

 

ひとりでも多くの人たちに知ってもらいたい。

今日でも明日でも必ず巨大地震は来る ということを。

“命を守り” “いのちを守り抜く” ためには

ひとりひとりの意識と行動、そして仲間が必要だということを…。

 

 

facebookには「〇〇年前の投稿」という感じで

自動で過去の投稿が出てくる機能があります。

そこで出てきたのが、このブログに貼った写真の数々。

写真を撮った頃は、ただただ現実を受け止めることしかできなかったけれど、

2018年になって出てきたときは、今までとは違う感情で見ている自分がいました。

 

この集落の人たちはどこへ逃げたのだろうか

ちゃんと逃げ切れたのだろうか

津波に流されてしまった人はいるのだろうか

ここに住んでいた子ども達はどうなっただろうか

今は無くなってしまった多くの家にも灯りがともっていたんだろう

今は廃墟となってしまった学校にも子ども達の笑い声が響いていたんだろう

 

そんな風に思い、涙がこぼれます。

 

私には、、“意味がある”と感じながら見たあの景色。。

あの時から、きっとこうやって活動していくことになっていたのかもしれない…

もしそうだったとしたら、

私が“守ろう子どもと赤ちゃん”を始めたことにもきっと意味がある。

 

自分の子ども達を守ることは1番大事。

もちろん自分自身も家族も。

 

それ以外にできる私のやれること…

私だからやれることを見逃さないようにしたいと感じています。

 

夫は…一緒にあの時の景色を見ているから

“守ろう子どもと赤ちゃんを支えるパパの会”として

私のやっていることを応援してくれているという気がします。

 

頑張りすぎず楽しみながら活動して

子ども達も家族も仲間も地域や日本各地の人々も

命を守り笑顔でいられる未来でありますように・・・好

 

長文にお付き合いいただきありがとうございました。

これからもよろしくお願いします。

 

~~~~~~~~~~

つなげるママ達の防災活動”とサブコンセプトをつくりましたが

1年でこんなにつながりが持て、

こんなに活動が広がるとは思っていませんでした。

 

福島での被災経験を伝えてくださり

 一緒に日々活動をする仲間でもある まざりんプランツ:小松恵利子さん

埼玉と熊本での被災経験を伝えてくださった 熊本ママたちからのメッセージ:加賀陽子さん

宮城での被災経験を伝えてくださった イラストレーター:アベナオミさん

 

被災ママたちの想いを日本各地のママ達に伝え続けている

防災ママカフェ® スマートサバイバープロジェクトかもんまゆさん

 

同じようにママ達で活動をしている心強い仲間のみなさん

防災ママかきづばた:高木さん、北島さん

備災ママスターズ福岡:黒屋さん

NPO法人あいちかすがいっこ:松元さん

 

守ろう子どもと赤ちゃんのグループLINEメンバーのみなさん(現在40名が登録)

 

市の防災課の方、校長先生、園長先生、娘の担任や主任先生、

様々なイベントでご挨拶させていただいた多くの皆様

イベントで御協賛いただいた皆様

 

ありがとうございます。

そしてこれからもよろしくお願いします。

 

 

もっともっと

ママ同士のつながり

近所のつながり

地域のつながり

市内のつながり

市外とのつながり

県外とのつながり

が広がっていきますように。。。


ひとりではできないことも

仲間がいればできると信じています。