全国大会の振り返りを上演側も客席側もしているので自分も。やっと。!
とても満足の出来る観劇でした。毎日自分の頭の中がキャパオーバーになるくらい各校の上演は素晴らしかった。
先ず、これが大前提です。
特に東播磨『アルプススタンドのはしの方』は去年の『Is(あいす)』と同じ様な満足を感じていました。
それだけの理由が自分にはあったわけで。
もう、観劇はこれでおしまいでもいっか!みたいな(観劇してるじゃねーか、は突っ込まれるでしょうか:笑 それはまた別の理由がありますが別の物語)
そして大袈裟ですが、高校演劇では無い演劇への少しの絶望と。
これだけのものが観れるならば、自分には大会だけを観て十分すぎるよ。
それは今回も感じた事。
実は、今夏で自分は一度、いなくなろうと考えていました。観劇をまるでしなくなる、わけではなく、この垢での発信の停止を意味します。
揺れてはいましたが、12校終演した時点ではそちら寄りでした。
でも多分、心変わりしたんだと思う。
言いたい事、考えたい事がある。
なんだ、あの講評は。
既に呟いているけれども専門審査員による講評が目に見える程、酷かった。
「私たちは評価されなかった」上演校からこんな言葉が出てきてしまう様な上演は一校も無かった。
ならば何故だ。
講評は色々な形があるモノとは思う。
高校演劇サミットの林さんの様に素敵な考え方をされている方も沢山いる。
個人的には「そこで上演が終了するそのトドメを刺すのは講評であり、観客の感想である」と考えています。
上演側が苦しむ事なく、そこで死んだとしても安らかにいられるそれが自分の理想かなと。
それは結果発表を抜きにしても絶対に出来る事だと思う。
それは上演校に対して、如何に素敵な所があって、如何にまだまだ可能性があるかを示す事。
全ての上演校にそうする事によって、例えば賞に差が付いたとしても納得が出来る様な。
最優秀賞『アルプススタンドのはしの方』はとても素敵な上演だった、最優秀は本当に妥当である、と思います。
ただし、あの講評でその素晴らしさは伝えられていたか?
「高さが表現出来ていなかった」それしか記憶に無いのですが、語るべきは本当にそんな小手先の部分で良かったのか。
「講評を聞いても結果が分からない系」という言葉がまかり通っていて良いのか。
「これ程良い作品の所には負けても納得が出来る」(負けてもは使いたくないですが、今はあえて)その素晴らしさに触れなさ過ぎるのだと。
勿論、他の作品だってそう、先ずは作品の持つ魅力に触れないでどうするのだろう。
自分は今回は賞とか上位4校が、とかは殆ど考えていませんでした。
それだけ抜きん出た作品が集まっていたと言うこと。
ある意味、安心をしていたわけです。
また、上位に入らなかった所にここは間違いないだろう、という所もあったのは事実。
でも
賞の結果より、触れるべき部分に触れられなかった、それが観客の心を掻き乱したのです。
それが上演校に、有り得ないのに「評価されなかった」と言わせてしまっているんです。
また上演校に対するリスペクトの無さも許せませんでした。
言葉を借りますが(なんで鍵垢でっ!!)
「脚本読んでるのに(みてるだけでもわかりうるレベルの)細かい設定を上演校に質問するのも恥ずかしすぎ」
その通りの事が起きていました。
自分が呟いた事ももう一度。
「今日の講評を聞いていて、あの場も舞台じゃないか、を再認識した。
毎回思う、講評を聞く事でその人の作品を観てみたいと思える様であって欲しい。
だって、話しているのはその人の演劇に対して持つロジックだろう、自然にそれは滲み出なくてどうするんだろう。 」
自分の絶望はここにあって、演劇人と言うのはそんなに人材不足なのでしょうか?
全国大会じゃないですか!
専門審査員講師だってそう、トップレベルではないのか?!
自分が観たいとも思えないロジックしか持たないかたがたがあれが最高?
観劇動機を演劇人自ら取り上げに来られている、そんな感覚を自分は受けるのです。
かの作品は「しょうがない」という痛さを示してくれました。
大会の結果はその時々、「仕方ない」「しょうがない」と如何にそんな事に囚われずにいて欲しい、という事をおっしゃる方々も沢山います。
それはその通りであり、今回、だが問題はもっと別なのではないか?と思う様になりました。
違うよ、やはり、最高の中で競って、僅かな差の中で順位が付く、という事を示せないならばそれは違うよ!
それはむしろ示せなかった方が悪かったと言えなければいけないよ。
何度も言うけれど、今回は専門審査員が本当に良くなかった。
ネガティブな事を名指すかどうか、という問題がありますが、表現で勝負している人たちなのだから名指しても良いくらいと思いますが(まあ申し訳ない事に限定的過ぎて名指している様なもの)
覚えたくはないけれど、そういう人たちがいた事をずっと覚えています。
その人たちゆえに劇場から足が遠のく自分の感情をずっと覚えています。