一見、ネガティブなとこからはじまりますが、読むならば最後まで読んで貰いたいです。
今の自分が全力でおぼんろを推すとこうなりました。
正直に、貧乏な人割引を使用。
まあ真に貧乏なのもありますが、何よりちょっとしたわだかまり分、今回は勘弁してください。
書き出しは観劇前。
劇場に向かっているところ。
観る前の印象。
これ、多分、何度か言っていて申し訳ないのですが、
「観劇前に意味もなく殴られて、どうぞ観てください」
とやられて、それでも感動出来るとしたらココかもしれない、とずっと考えていました。
勿論、比喩表現で、ただ比喩と言うことはあの時の千穐楽、それに類する事は確実にあった。
100名あまりを捌けず30分の開演遅れ、案内の不備、外に溢れていたお客の安全、それらを問題と思えていなかった事、千穐楽の浮かれ具合、回りに寄る人々しか見えていなかった事。
やっぱり、どう考えてもあれは無いと思っている。
(ごめんなさい、ぼかして書くとフェアじゃないと感じました。強調したいわけではないです。勿論、この辺りの問題をちゃんと捉えて今回の公演に臨んでいるのはヒシと感じます)
ただ、それでも今回、劇場に足を運んだのはそれだけのモノがあるからだと思う。
観劇前に殴られても感動出来る、は自分にとっては最大級の誉め言葉なんじゃないだろうか。
いや、これはこちらが酷い言いぐさですね。
本当のわだかまり。
いつだったか、今回の本公演の前にあった個人企画の案内メールが来ました。
一人一人に丁寧に送っていたそう。
それは本当に頭が下がる。
自分は既に立てていた予定で微妙だった為、上映時間の問い合わせを返した。
それに返信が無かった。
それだけ。
正直な話、メールの不具合であったりも考えられるので、それを責める訳ではないし、それを言うならば再問い合わせを自分ですればいいだろ、と思うくらいの事。
その時感じたのは、
「あ、縁が無いのかなー」
と言うこと。
自分の予定が微妙だったのもあり、ボーダーライン上にいた観劇欲が下回ってしまった。
それはまあ、たまにあることだ。
ただ、そういうことでお客は増減するんだよな、多分。
大人げない考え方だ。
だから今日、そのわだかまりは解ければいいと思う。
実は縁と言うことであれば、数日前に観に行こうとしていて、ただ直前にどうしても優先したい問題が発生してキャンセルしてしまいました。
この時に、あれ、本当に縁が無いのかな?
と思いそうになりましたが。
縁は、あった、と思ってもいいでしょうか。
自分の好きなナイスコンプレックスに末原さんが主演客演された事とかも含めて色々考えます。
何か恨みでもあるのかって書き方ですが、でも。
昔から観ている人の中には勝手な事を言ってる人もいるな、とか、毎日観ている一人の意見で評価が上下してるものを観に行きたいと思うかと言ったら厳しいよな、とか、憤っている自分も有り。
何なんだ、こいつ(笑)
ごめんなさい。
本当は観劇なんかしていられないぐらいの気分で観に行っていました。
話が飛ぶようだけど、演者のかたがたがこちらの事を把握されていたのには叶わないと思った。
自分の前でコケて「大丈夫ですか?」
と素で言った自分が恥ずかしい(笑)
ほんの数言話しただけだけど、兎に角、あの時自分はびっくりしていた。
きっとこちらのわだかまりを分かった上で話し掛けていただいた。
また登紀子さんにも見付けていただき、実は始まる前にひっそりとガチ泣きをしました。
何を話した訳でもない。
観劇が今キツくて、でも観に来て良かったと自分は思えていた。
前回公演について、運営面を滅茶苦茶に言ったけど、お客様の把握、しかも演者のかた(語り部か)が実践されているのはとても理想だと思う。
導入のパッケージ?は前回公演と一緒だった。
あれは本当の意味で基本なのでしょう。
想像力を求められる。
全日程参加する勢いの人は毎回聞いてるのかと思うとおかしみがある。
昔の作品だからか、序盤、結構茶目っ気もあった様に思う。
内容を語るのは自分あまりできないので、少しだけ。
めぐみおばさんのこれからの物語を思うと胸が傷んだ。
大事な人、一人だけを見たあの選択は残酷だと感じた。
あの残酷さは気のせいでなければ、おぼんろという団体からも感じる残酷さだと自分は思った。
沼に願えるのならば、自分も願ってしまう事があるだろうと思う。
終演後、沼に頭から突っ込んでしまいたい衝動有り(迷惑)
おぼんろは素晴らしかったですよ。
これ以上なく人を惹き付ける作品、人たちに狂おしい程の嫉妬も覚える。
勝手だけど、託してきたモノがあります。
勝手に託してきました。
どうか、最後まで良い舞台を。
「シアターコクーンに行きたい」
今日、このフレーズを目にするだろうか、聞くだろうか。
やはりカーテンコールで言ってたので自分も触れます。
多くの人はきっと単純な大劇場より、廃工場での物語を観たい、いや参加してみたいと思っているのではないでしょうか。
これは廃工場でのものを知らない人たちも含めて。
どちらの方が特別でしょうか。
どちらの方が希望が多いでしょうか。
自分達の悲願、と言うのはあるかと思いますが。
てか、もしかして今だと廃工場の方が難しくないです?
どうなんだろう?
この部分を語る時だけ、自分にはざりっと客席から音が聞こえる様な気がしました。
ただ、「昔の方が良かった」
と簡単に言えてしまう人、もっと正確に言えばいいのに、とか思う。
今のパフォーマンスで、廃工場でやるのをまた観たい。
とか言った方が、同じ意味合いでも良くないだろうか。
それはオブラートに包むと言うことではなくて、嘘をつけと言うのではなくて。
やっぱりその方が正確だ、と思ったのです。
それでもシアターコクーンを目指すのは本当に団体側だけのエゴじゃないでしょうか。
お客の方を見ている様で、その部分だけ見ていない様に感じます。
ただ、
その貫く姿勢に人は惹き付けられる事もあるかもしれない。
シアターコクーンに「連れていく」「一緒に来て欲しい」
二つが同居してると思う。
恐らく「連れていく」と言われると困惑する人もいる。
それこそ、初めて来る人にはピンと来ない気がする。
「一緒に来て欲しい」
これを粋に感じる人はいると思う。
ただ、その人たちにとっては
「責任持って連れていきます。達成できたら自腹でワイン奢ります」
はちょっと寂しくなる言い方じゃないか。
その自腹が欲しい人はいるのだろうか。
お金なんかどうでもいい。
その思いは痛いほど分かる。
ので、誤解される様な言い方かもしれませんよ、とだけ思いました。
必要動員2万5千人だったか。
その客席数を埋めた状態で達成するか、埋めなくても達成してしまう、実は二つやり方があると思う。
(勿論、更に他にもある気がします)
「連れていく」「一緒に来て欲しい」
どっちがどっちだろう。
ちなみに自分はおぼんろ粋だと思っていますよ。
まあ廃工場バージョンを観てみたい、という希望は明言しておきます。