過去のお話です。
ねねの幼稚園時代(4年保育3歳児編)になります。

(なぜか絵を載せると公開できない(落ちる)のでとりあえず文章だけ載せますね!)


※関連記事※
ねねの赤ちゃん〜未就園児時代はコチラから
ねねが発達障害と診断されるまで①
https://ameblo.jp/mammy-boco/entry-12279244075.html



市の保健師さんのオススメもあって、3歳になった日から入園できる4年保育の幼稚園を探して入園しました。


夜泣きで昼寝が長くなる、という悪循環を改善させたかったのが第一でしたが、


ハイハイの頃から、支援センターなどでなかなか同じくらいの子と遊べなくて(デパートの子供の遊び場などに入れても嫌がり一人で遊ぶか帰りたがる感じでした。)


当時からお友達の輪の中になかなか入って行けない子だったので、幼稚園という集団生活の中に入れることで、ねねのコミュニケーション能力を育みたいというのも私達夫婦の狙いでした。


今にして思えば、「人への関心が薄い」「輪の中に入っていくのがとても苦手」というのはASDに見られる症状のひとつでした。


が、当時の私達は知る由もなく、ただただ幼稚園でねねに仲良しのお友達ができたらいいな♪そして遊び疲れて夜グッスリ眠っておくれ〜!くらいに考えていたのでした。


入園してから、ねねの担任の先生は毎日ねねの様子を事細やかにノートに報告して下さいました。


やはり不安感が強いねねは、工作などやることが決まっている時間は席に座るものの、自由時間はどうしたらいいかわからないようでした。


先生は無理矢理、ねねを子どもたちの輪の中に入れようとはしませんでした。 


決してねねに無理強いはさせず、「ここにいてもいいんだよ」「先生の横においで」と声をかけてくださり、いつも一緒にいてくれました。←先生を思い出すたび今でも泣けてきます


そんなわけで、しばらくの間、ねねは先生の横にいつもピッタリとくっついている子でした。


先生の書いてくれたノートには「今日は○○ができました」「今日はねねちゃんととても楽しいことがありました」「今日はねねちゃんがお手伝いしてくれました」「とっても上手にお絵かきしました!」「折り紙がとてもうまくて一緒に色々作りました!」「ねねちゃんが旅行の話をしてくれました!」
など、○○ができた!や楽しかった話、などキラキラする言葉ばかりがびっしりと綴られていました。まさに読めば自己肯定感が上がる一冊です。
そのノートは今でも宝物で、たまにねねが机の奥から取り出してはひとりで読み返しているほどです。


ねねにとっても私にとっても宝物なノート。宝物な一年間になりました。


しばらくすると、同じクラスと年長さんにお友達もできました。
とても仲良くなって、幼稚園の自由時間も、その子たちを通じて少しづつ集団の輪の中へ入っていけるようになりました。


そして、幼稚園のおかげで日に日に体内時計が整いまくり、日々の寝入りも早くなり、夜驚症の頻度は確実に減っていきました。


そんなある日、幼稚園から帰宅後。


家に入るやいなや、
「痛いから絆創膏貼って」とわーんと声をあげて泣きました。


見ると小さな腕に物凄い噛み跡が!ゲッソリひいー(今でも跡が残ってます。)


「絆創膏貼って」の前にどうしてこうなったかママに教えてごらんゲッソリと聞くと、


「入れて」と言わないでおままごとの場所に入ったら○○ちゃんに噛まれた。周りは誰も見てなかった。
とのこと。


血がにじむほどの強い噛み跡。
すごく痛かったけど「入れて」って言わないねねが悪いから先生には言えなかった。と言いました。


その後すぐに知りましたが、幼稚園では担任の先生と仲良しの年長さん二人と同じクラスのお友達以外は全く話せない状況だったらしいのです。だから「入れて」が言えなかったのでした。


幼稚園時代の緘黙症のお話はは少しですがここで触れています
関連記事


場面緘黙症もありましたが、普段、世間話もできた先生に肝心な話ができなかったところを見ると、やっぱり自己主張が苦手で自分からは話すことは難しかったのかな、とも思います。(当時はなんで言わないの?!と思いましたが‥)


さて、4年保育も終盤に差し掛かった頃、ようやく私にもママ友ができました。(それまでは幼稚園にママ友が一人もいませんでしたデレデレ)


お友達親子が遊びに来てくれたとき、ねねのお友達に「ねえ、ねねちゃんのお母さん、なんでねねちゃんは幼稚園でしゃべらないの?」と聞かれました。
当時のねねは、幼稚園の外では楽しくおしゃべりできるのに、場所が幼稚園になると、特定の人(先生や仲良しのお友達)以外とは全く話せなくなるようでした。(まんま場面緘黙!)


でもまあまだ3歳だし!
内弁慶なところは私たちに似たのかもね!


お気楽脳天気な夫婦は、それでも娘が抱える苦しみに全く気付かなかったのでした。



この話のまとめ
○2歳くらいから集団に入ることが難しい子だった。
○慣れるまでは幼稚園の自由時間もどうしていいかわからない様子だった。(先生がそばに居てくれた)
○一方で保育時間はしっかり参加できた。
○幼稚園に入園したことで、集団に入る訓練になった。(←少しづつ輪の中に入れるようになった)
○基本的に一人でいることを好んでいた。
○場面緘黙の症状が出ていた。(幼稚園に慣れるとしだいに幼稚園では症状が出なくなった)
○夜驚症は一旦落ち着いた(但し、行事や新学期や休み明けは油断できなかった。)
○私達夫婦はねねの苦しみに気付いてあげることができなかった。





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ネネの成育歴まとめ

キラキラねねの赤ちゃん〜未就園児時代はコチラから

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