生ぬるいと感じていたセンターピース | まいまいのいまいきログ

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かつてそうであった話
そして今こうである話

何度も同じことを言ってても
前と逆のことを言ってても
今この瞬間は真実なんだ。
ここが本当の私。

共存ってなんだっけ



書くテーマはあるのに、書く手が進まなかった。

 

 

 

2回目の「2度目のセンターピース」を無事卒業し

(過去いろいろありました)

 

CPカウンセリングのモニター提供もした。

 

 

 

 

CPを卒業して正直に感じるのは

 

センターピースはやっぱり好きだ!けど、

 

初回受講時のワクワクや衝撃がなくて戸惑う、が

 

ずーっと続いたってこと。

 

 

 

講師の違い?

周りの人の性質?

私が変化した?

 

 

 

 

講座の素晴らしさや魅力は変わりない。

 

他の受講生ブログに綴られた体験記が物語る。。

 

途中の田舎者スイッチに激しく共感。

初受講ってこうだったなぁ、を思い出す素敵な記録。

 

 

 

 

けど私はずぅっともやもやしていた。

 

なぜかわからんが

 

中級のブロック解放ワークは素直にできなかった。

 

ブロックに向かいたくないブロックか。

 

 

 

 

「大衝撃」や「大成長」はなかったのに

 

また来年も受講しようと思うのは

 

「慣れから離れたくない」の甘えじゃないのか?

 

 

 

 

そもそも受講のきっかけが反骨心まる出しだ。

 

 

 

変なプライドがあったのか、

 

積極的に周りと関わろうとできなかった。

 

そのツケが、終わってからジワジワくる。

 

 

 

なんだ、これは?

 

 

 

 

 

 

実は、今年私に癒しをくれた八ヶ岳には

 

来年は行けないかも…と思っていた。

 

何となく周りと馴染めてない気がして

 

なんか気持ちが乗らなかったんだ。

 

 

 

 

けどCP再受講の最終回で

 

神の采配。

 

たまたま一緒にワークした人が明かした

 

一年目の時にあったという感情と、その経過。

 

 

 

「共存なんて生ぬるいと思ってた」

 

 

 

その言葉が少しずつ沁みていった。

 

じわじわ、じわじわ。

 

うまく言葉にならないけれど

 

だんだんその声が大きくなってきた。

 

 

 

 

その後、トイレに入ってる時に気づいた。

 

 

 

 

私もここを『生ぬるい』と思ってたんだ!

 

 

 

 

仲良しこよし、じゃねーんだよ!って。うわぁ…

 

実はかなり批判的な目で見てたらしい?

 

なにそれ魂が抜ける共存からほど遠くね?

 

 

 

 

これは仮説だけど…


私は「陶酔クライマー」(#変人診断)

 

『自己陶酔して崖を登る』が好き。

 

他人には「それも共存でいいよね」とか言いながら

 

自分には「ぬるいこと言うな」と焚き付けて、

 

まだまだァ!と登らせようとする、けど登れない。

 

(何かのブロックが隠れてそう)

 

そりゃしんどいわ。

 

 

 

 

 

 

そんな気安く近づくなオラァな私


一般社会ではきっとすれ違ったままの人とも

 

ワークやふとした会話を通して、

 

共感で繋がれるチャンスがある。

 

そして何年かかかっても


きっと『それぞれの共存』を体得して

 

心地いい距離感でゆるやかに繋がっていける。


やっぱりCPすごかった。


 


 

もうちょっと人間として生きやすいように


生活や人との距離感を整えたい、

 

と3年目を決めたのでした。


何か受けた方がいい気がすると思った


その感覚を信じよう。