共存ってなんだっけ
書くテーマはあるのに、書く手が進まなかった。
2回目の「2度目のセンターピース」を無事卒業し
(過去いろいろありました)
CPカウンセリングのモニター提供もした。
CPを卒業して正直に感じるのは
センターピースはやっぱり好きだ!けど、
初回受講時のワクワクや衝撃がなくて戸惑う、が
ずーっと続いたってこと。
講師の違い?
周りの人の性質?
私が変化した?
講座の素晴らしさや魅力は変わりない。
他の受講生ブログに綴られた体験記が物語る。。
途中の田舎者スイッチに激しく共感。
初受講ってこうだったなぁ、を思い出す素敵な記録。
けど私はずぅっともやもやしていた。
なぜかわからんが
中級のブロック解放ワークは素直にできなかった。
ブロックに向かいたくないブロックか。
「大衝撃」や「大成長」はなかったのに
また来年も受講しようと思うのは
「慣れから離れたくない」の甘えじゃないのか?
そもそも受講のきっかけが反骨心まる出しだ。
変なプライドがあったのか、
積極的に周りと関わろうとできなかった。
そのツケが、終わってからジワジワくる。
なんだ、これは?
*
実は、今年私に癒しをくれた八ヶ岳には
来年は行けないかも…と思っていた。
何となく周りと馴染めてない気がして
なんか気持ちが乗らなかったんだ。
けどCP再受講の最終回で
神の采配。
たまたま一緒にワークした人が明かした
一年目の時にあったという感情と、その経過。
「共存なんて生ぬるいと思ってた」
その言葉が少しずつ沁みていった。
じわじわ、じわじわ。
うまく言葉にならないけれど
だんだんその声が大きくなってきた。
その後、トイレに入ってる時に気づいた。
私もここを『生ぬるい』と思ってたんだ!
仲良しこよし、じゃねーんだよ!って。うわぁ…
実はかなり批判的な目で見てたらしい?
なにそれ共存からほど遠くね?
これは仮説だけど…
私は「陶酔クライマー」(#変人診断)
『自己陶酔して崖を登る』が好き。
他人には「それも共存でいいよね」とか言いながら
自分には「ぬるいこと言うな」と焚き付けて、
まだまだァ!と登らせようとする、けど登れない。
(何かのブロックが隠れてそう)
そりゃしんどいわ。
*
そんな気安く近づくなオラァな私が
一般社会ではきっとすれ違ったままの人とも
ワークやふとした会話を通して、
共感で繋がれるチャンスがある。
そして何年かかかっても
きっと『それぞれの共存』を体得して
心地いい距離感でゆるやかに繋がっていける。
やっぱりCPすごかった。
もうちょっと人間として生きやすいように
生活や人との距離感を整えたい、
と3年目を決めたのでした。
何か受けた方がいい気がすると思った
その感覚を信じよう。