先日、
竹田圭吾さんが亡くなられました。
ご存知の方も多いですが、亡くなられる
少し前まで「とくだね出演」をされてました。
かなり身体が辛かったようで…
ジャケットのボタンを留めるにも
時間がかかったそうですね。
同じ出演者の方がこう言われていました。
(ボタンを)
お手伝いをしようか。迷ったけれど…
竹田さんは、ご自分でされたいのではないか。
そういうお手伝いをされるのは
きっと嫌がられる方ではないか。
そう思ったので声はかけなかったのです。
これ、迷いますよね。悩むと思います。
電車の中で席を譲るのとは訳が違う。
結論としては
手伝っても、手伝わなくても、どの選択をとっても
「その方のことを思ってしたこと」ならば正解です。
ただ…
言うのが怖かったから。
お手伝いましょうか。
もしかしたら「失礼に当たる」のではないか。
だから勇気がなかった。その選択がとれず。
こういう場合であったなら…少しアドバイスを。
私が普段から何気にしていることを言語化してみます。
<声のかけ方>

目線を同じ高さに合わせるか、
もしくは相手より下からにします。
(相手をたてる為です)
お手伝いさせていただいてもいいですか?
優しいトーンで言ってください。
✕ お手伝いしていいですか?
(時間がかかるので早く済ますように聞こえる)
〇 お手伝いをさせていただいても?
(お手伝いを私がしたいのです…と聞こえる)
この言葉の違いが重要です。
お手伝いをしたい。
ぜひ手を貸してあげたいと思う。
私が貴方に何かをしてあげたい。
そういう気持ちが溢れていたらOKです。
おそらく竹田さんは車いすだったでしょうから。
①まず真正面ではなく(威圧的に感じる為)
少し斜め前で屈み、
②目線は自分が相手を見上げる(お願いする姿勢)
③優しいトーンで言葉を伝える(出来れば目を見て)
もしかしたら
「助けることが失礼にあたるかもしれない」
その気持ちはモノスゴクわかります。
ただ、それはその方が
「自立を促せる状態においてのみ」に考えること。
…生死をさまよう状態において…
この迷いは、逆に後悔が残る可能性が大いにあります。
弱い人、弱っている人を助けたい。
力になりたい。できるならば。
この「思い」なんら恥ずかしいことも
失礼であることも全くありませんから。
介護、介助にあたる方がいたら
ぜひ自信を持って言ってくださいね。
ターミナル末期症状の方というのは…
薬の副作用、含めて手先の感覚さえもない。
そんな場合が多々考えられます。
竹田さんは恐らく
ボタンを留めるのは至難であったはず。
上記の事項さえ守れば
「手助け」の言葉は問題はありません。
もし、、、
いや。大丈夫です。
そう言われても傷つく必要はないです。
絶対に謝らないでくださいね。謝る事じゃないから。
そんな時は
はい…と小さく答えて
そっと少し距離をとって離れ…
その行為を、
斜め後ろに立ち(少し相手の視界に入る程度)
見守ります。
そして終わったら、何も言わず、ひざ掛けなどをしたり
車いすを押しますね…など他のことで声をかけます。
あんまり質問形式にしない。
これも一つの方法ですね。
〇〇していいですか?
と聞くと、いえ、大丈夫です。
相手はそう答えようと(気を張って)します。
〇〇しますね。
↑これで、ササッと自然に手伝ってしまう。
しんどい方からしたらね。
意外にね、楽なんですよ。
只でさえ覚束ない体で仕事をしている。
そういう申し訳なさがあるわけですから
ボタン一つで迷惑かけて…という気持ちがある。
優しいトーンでササッと嫌味なく、してもらえたら
あぁ、助かった。
ありがたい。
意外にそう思います。
出来れば他の人に見えない場所でされると
(惨めな姿をさらさない)余計に感謝が募ります。
たまに、、結構です!
という頑固な人でも
末期状態では…ありがとう。
と素直に言われますからね。
素人の方には確かに難しいかもしれませんが
「あぁすれば良かったな」と後悔が残らぬように
少々、お節介な方が
実は本当にしんどい時はありがたい。
その事実も覚えておいてくださいね。
人に助けを求めてこなかった人ほど
「助けの求め方」がわからない場合がある。
ただその気持ちを汲むだけ。
一番嫌なのが
必要以上の同情。
必要以上の気遣い。
これを態度に出さないことが出来ればいいな。
たとえ「今は手助け」が必要ないです。
そう言われたとしても、いちいち傷つかない。
貴方が好きだから。
貴方の支えになりたいから。
そういう大義名分をもって堂々と
勇気を出して「手助け」の声をかけてください。
同じ状況になった時、
もしなる時があれば、
思い出してご参考にして下さいね。
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