*株式会社グランエスペランサ代表取締役
*NPO法人日本結婚教育協会代表理事
*あしふみ健幸ライフ❌金沢粋屋の
棚橋美枝子です。
「忘れないために残す」のブログは
私の真友であるみわちゃん、
そして2月22日02時58分に今世の使命を終えて旅立ったかおりちゃん親子の
3年3ヶ月の癌との戦い、癌との共生、
そして「生も歓喜、死も歓喜」と
みわちゃんがとらえるまでの過程を
私が忘れないために残すものです。
詳細についての記載は曖昧なところがありますがワタシにとって大切な備忘録であることをご理解いただきご一読ください。
今回のお通夜、告別式は自宅で行われました。
参列者の方はおそらく300名?
なんと言えばよいか。
29歳の女の子のお別れにしては凄すぎた。
このお通夜と告別式にはかおりちゃんが大好きな大人たちが沢山関わっておられました。
その人たちの中におられたのが
流れる雲よ
という劇を通して知り合った方々。
このチームの皆様がおられなくて
このステキな自宅葬は絶対にできませんでした。
この流れる雲よという劇については
どこをご紹介してよいのかわかりませんので、ひとまずこちら。
かおりちゃんは大阪実行委員会のメインメンバーとして、この劇の黒子として活躍されていたのです。
舞台にあがるわけではないけれど。
この劇に関わる方々と強い友情を築いておられました。
私も実は、今は参政党という政党でご活躍の神谷さんという方、そして、みわちゃんのご縁で2回この舞台を拝見しています。
こういう内容は一歩間違うと、この特攻隊というストーリーを美化させてしまいがち。
この傷ましいあってはならない歴史を美化させて
あの頃はよかった、あんな時代がよかったと思わせてしまう可能性を秘めています。
ワタシは若い頃、連合艦隊という映画をはじめ、こういう戦争ものをみては「この頃の日本はよかった」「家族のつながりはこうでなくちゃ」と語っていました。そんなワタシの語りを聞いた高校の日本史の先生が、「絶対に一側面から歴史を見てはいけない。悲惨な歴史を美化することは絶対あってはならない」ことを切々と伝えられ、あー若い人たちの心を揺り動かすものなのだと、一歩間違うととても危険なものになりかねないとワタシ自身の心の動きから感じてきました。
なぜならワタシの心が酔ったからです。
陶酔したからです。
では、何が大切なのか?
特定の思想の先導になっていないのか?
どんな人が関わっているのか?
中心者の思想の根本は?
机上の空論ではないところで命をとらえているのか?
かおりちゃんが大切にされているこのフィールドをワタシは遠いところで見ていました。
が、今回、このお仲間が、かおりちゃんの旅立ちの舞台に多くの方が真心で関わってくださいました。
良い日本にしていきたいと思っておられる皆様ですから入り口は異なれど通じるものはあります。
そして、とにかく皆様良い方ばかり。
真心でお仕事返上で、ボランティアで、かおりちゃんのセレモニーを飾ってくださいました。
道の案内を寒い中でされる方、
受付、待機場でのご案内、様々に取り組んで下さいました。
かおりちゃんは亡くなったあと、こんなセレモニーを望んでいたのか?
それはワタシにはわかりません。
誰もその心は今や知るよしもなければホントのことなどわからないのです。
しかし、きっとこれが望んでいたことだと、そうであろうと信じて、そこに何人もの方々が、かおりちゃんを思い、みわちゃんを思い、このセレモニーに集い時間をかけて下さったことは間違いありません。
みんなが泣いていた。
私も泣いていた。
みわちゃんもパパもみんな泣いていました。
流れる雲よの皆様も泣いておられました。
かおりちゃんのために泣いてはいけない
そう歯を食い縛る方もおられたでしょう。
かおりちゃんのことを思い、これからは笑おうと思う方もおられたでしょう。
かおりちゃんの気持ちはすべて今において、我々は想像することしかできないからです。
しかし、今大切なのは、わたしはみわちゃん、パパの心が安穏であることだけだと思っています。
かおりちゃんの会葬御礼の品の中に、このご案内が入っていました。
このチラシは、かおりちゃんが語っているように作られています。
これは、かおりちゃんが生前に作られたものなのか、どなたかの意思で作られたのかワタシにはわかりません。
しかし、この言葉をワタシはかおりちゃんの言葉なのだととらえたいと思っています。
それは何故かというと彼女が眠る枕元には、
彼女が闘病生活に入ってからかおりちゃんとみわちゃんが作った大きな大きなモニュメントが飾られていました。この写真すべてがかおりちゃんの青春の一コマであり、この仲間との時間がかおりちゃんのエネルギーとなっていたことは間違いありません。
そして、昨年末にかおりちゃんは流れる雲よの皆様ととても大切な時を笑って元気に過ごしているのです。
かおりちゃんが、この流れる雲よで見た知った聞いた共感の仲間を心から大切に思っていたことは間違いありません。そして、また大切に思われていたことが間違いないと、この数日間を見ていて心から思いました。
あなたのお葬儀で、しかも自宅葬で、わりとへんびなとこで、300人に近い人を迎えるスタッフとして動いてくださる方お仲間おられますか?しかもその集まった人たちの誰をとっても
「どうする?いく?いかなあかんやろ」とギリで集まってる人などいません。
みんながかおりちゃんを大切に思いしのんで、みんなが心の傷みを堪えてかおりちゃんとのお別れではなく、かおりちゃんの旅立ちを送ることに心を一つにされていたのです。
流れる雲よの皆様は全員そのようなお気持ちであったと感じました。
かおりちゃんのワタシに託したかったものは
きっと「これからの日本のために、日本の未来のために「流れる雲よ」を大切にしてね。タナハシサン頼むよ」であったようでなかったようで。。
2月4日から5日にかけての真夜中。
苦しむ彼女との語り合いの中であったワンシーンでした。
これからこの作品を遠くで近くで、かおりちゃんを感じながら大切にしていきたいなと思います。
ワタシがお礼を言うのも変だけど
流れる雲よの皆様には心からお礼をお伝えしたいと思います。
本当に本当に皆様ありがとうございました。
これからもお身体ご自愛いただきご活躍くださいませ。