*株式会社グランエスペランサ代表取締役
*NPO法人日本結婚教育協会代表理事
*あしふみ健幸ライフ❌金沢粋屋の
棚橋美枝子です。
「忘れないために残す」のブログは
私の真友であるみわちゃん、
そして2月22日02時58分に今世の使命を終えて旅立ったかおりちゃん親子の
3年3ヶ月の癌との戦い、癌との共生、
そして「生も歓喜、死も歓喜」と
みわちゃんがとらえるまでの過程を
私が忘れないために残すものです。
詳細についての記載は曖昧なところがありますがワタシにとって大切な備忘録であることをご理解いただきご一読ください。
今回、人生初経験でした。
参列された多くの方が、こんなお葬式ってできるんだと驚かれたことと思います。
その表を裏を作ってくれた方々をご紹介したいと思います。流石にお写真はさほどにありません。
長くなるけど文章から汲み取ってください。
お花に囲まれて
ちなみに「菊」ありません(笑)
お写真はみわちゃんの許可を得て撮影しました。
かおりちゃんはお花が大好きです。
かおりちゃんが抗がん剤治療の副作用で行き詰まった時にみわちゃんとかおりちゃんが宮古島へ40日間行きました。
一般的な治療を優先することを勧められるドクターと「たたかう」とみわちゃんはワタシに宣言していました。
「棚橋さんはどう思う?」
みわちゃんは私によくこのように質問しました。
ワタシが答えを考える軸はいつも同じで
「みわちゃんの考えを応援する」でした。
よく、「その人の立場に立って」と言うけれど、「立てる」わけないのです。
なぜならワタシたちは誰とも同じではないから。
ただ、言えるのは、みわちゃんがワタシに相談する時、それは調べ尽くして、考え尽くして、かおりちゃんの生命力を落とさないために、考えに考え尽くされていたこと。
ワタシが口出しをできる余地などありません。
「みわちゃん、それでいいよ。それでいいとワタシも思うよ」
ワタシの言葉に
「わかった。棚橋さん、ありがとうございます。聞いてもらえてよかったです」
みわちゃんが、いよいよかおりちゃんの死にむきあう時が近づいてきました。
「辛いですわ」
みわちゃんの慟哭の声。
現場で苦しむ我が子に何を今親としてできるのか。その葛藤は我々の想像をはるかに超えていることでしょう。言葉でどれだけうまく言えてもみわちゃんに伝わる言葉などあろうはずもありません。
その時に私が伝えたのはある哲学者であり詩人の
「生も歓喜、死もまた歓喜」という言葉でした。
生まれてくることも
逝くこともどちらも生命が、もし一本に永遠に繋がるとしたら、どちらも新たなスタート。どちらも歓喜だということです。
生きてることがプラスで死が決してマイナスではないということ。どちらも共に備わっていること。私たちの人生の中で生死は車の両輪のようなものだということを伝えました。
「ワタシはどこまでいっても言葉でしかおそらく理解できていない。みわちゃんが今からその言葉を先に体感するんだろうね。その言葉がどんな意味か教えてや」
おそらく、みわちゃんは、かおりちゃんの旅立ちを哀しい切ない湿りのあるものではなく、その言葉を体感する選択をひとつひとつしていくに違いないと感じていました。
みわちゃんがかおりちゃんのお花でいっぱいのセレモニーにされようとしたのは、この一枚の写真からでしょう。
みわちゃんがかおりちゃんを送る数週間前から
こう言われました。
「棚橋さん、死もまた歓喜なんやね。
ワタシ、何も後悔がひとつもないねん。
ホンマに天晴れな娘やと思ってる。
生も死も歓喜やね。スタートやね。」
やはり私の真友みわちゃんは想像通りの人。
自分の理想に、気高いイメージに自分を落とし込める人。
この自宅葬という大切なセレモニーをご準備いただきました日比谷花壇の皆様、とりわけ本当に秀逸なマネージメントをしてくださった日比谷花壇の井上さんには感謝しかありません。
そしてたくさんの皆様からいただきました供花ありがとうございました。